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万博遺跡レポート
#64 日本ゾーンと西駐車場〜新・旧地図 07/05/13 古地図と現在図 ゴールデンウイークに、岐阜市立博物館に行って来ました。目的は、加納城の復元模型。 加納城は、本丸の石垣や土塁、そして堀跡が良好な状態で保存されています。しかし、二の丸や三の丸となると、城郭の縄張りとは無関係に学校や気象台の境界線が設けられてあり、その近辺を歩いていても、城郭のどの位置を歩いているのかがまったく分かりません。 そこで力を発揮するのが、古地図、現在図、それらの重ね図、そして復元模型です。重ね図を手に三の丸跡を歩いていると、土塁のあった位置に土地の高低差があったり、堀跡がそのまま道路になっていることがよくわかります。 博物館では、往時の加納城を想像し、また現在はどのように変化したかを確認しながら、しばらくの間、復元模型に見入っていました。 万博会場跡地もある意味、城郭跡地と事情が似かよっています(と、勝手に思っています)。記念公園が第一期オープンしたとき、[北ゲート]と[企業パビリオンゾーンA]に実際に立っても会期中の様子が思い浮かんできませんでした。ここで登場したのが、城郭散策で使用した新・旧地図。そのときの定点撮影はこちらとこちら。 第二期オープンエリアでも同様、[日本ゾーン]とEV塔付近=[FMラヴァース]付近の傾斜など、会期中とまったく様子が変わってしまいました。というわけで、今回も新旧地図を作成して定点撮影をしてきました。 下の2枚の新旧地図をご覧になりながら、2つのエリアの会期中と現在の様子を見比べてみてください。上が西駐車場、下がEV棟です。
西駐車場 第二期オープン以来、何度足を運んでも会期中の様子が思い浮かんでこない場所が、西口休憩場の前のロータリー付近。この場所に立って辺りを見渡しても、どこに、どのような方向で西エントランスが建っていたのかがまったくわかりません。 西エントランスとグローバルループが取り払われてしまい、変貌が著しいということもありますが、新旧地図を見比べていてその理由がやっとわかりました。会期中、ここは立入禁止区域だったため、その場所に立ったことがなかったからでした。会期中の様子が想像できないのも無理ありません。 そこで今日は、会期中の立入禁止区域の様子と現状を比較し、どこがどのように変わったのかを確認することにします。 (1)通路 まず、現在の西駐車場及び通路の様子を確認しておきます。北(散策の森)から眺めると、手前に池と駐車場、その向こう側に[コモン3]の高台が望めます。グランドの照明灯は、会期中の尖塔が転用されたものです。 写真@の、池と高台に挟まれた通路(赤線)が、西駐車場への進入路(地図参照)。西側から「西門」(城門のように見えるので、仮にこう呼んでおきます)を眺めると、写真ABのようです。Aが「西門」の位置、写真Bの突き当りには、西口休憩場が見えますね。
そして、会期中の様子。 北(西エントランス)から同じ場所を眺めたのが、写真C。グローバルループの左側が業務用通路、Aが「西門」が設けられたのと同じ位置になります。業務用通路を、西ゲートから眺めたのが写真D、グローバルループから眺めたのが写真E。 業務用通路は付け替えられて、現在は園内バス専用道となっています(こちらのfを参照)。写真Eは、現在の「西門」辺りから撮影したもの、写真Bの上空ということになります。
(2)ロータリー 次に、問題の場所です。 写真Fは、北(散策の森)から現在の西駐車場を眺めたもの。「西門」からまっすぐ駐車場へ入るとロータリーと西口休憩所があります。 西口休憩所から「西門」を眺めてたのが写真G。[コモン3]の高台と駐車場の間が、一段低くなっているのが確認できます。視線を北に移すと目の前に現れるのが、写真Hのロータリーです。。
それでは次に、会期中の様子をみてみることにしましょう。 西側のグローバルループから、東方向を眺めたのが写真I。右側にコモン3の高台、正面に愛知県館(矢印)、左側に西エントランスのある高台が見えます。これらに挟まれた、一段低い区域(青線の内部)がバックヤードです。 そう、ここなんですね、現在のロータリー付近は。ここには入ったことがないわけですから、この地点から眺めた会期中の様子が浮かんでくるはずもありません。 写真Jは、東側のグローバルループから同場所を眺めたものです。さらに視線を右側に移したのがこちら。高台の左側のへりは、現在の駐車場の南端ということになります。
ロータリーの前に立っても、どうしても会期中の様子が思い浮かんでこなかったんですが、これでやっと疑問が解決。もうひとつの定点撮影区域、EV棟周辺については次回ということで。 |