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上海万博訪問記2
#1 1日目(8月15日) 3、上海城 後ろを振り返ると、写真でよく見た上海城の遺跡「大境閣」が、いきなり目に飛び込んできてびっくり、そして感動! まずは、ぐるっと一周。 上海城というのは、明代に倭寇の襲撃から守るために、城壁と堀で防御したのが始まりとされています。アヘン戦争後、このエリアは「華界」とされ、欧米人の居住が禁止されてきた地域。100年ほど前、国民党時代に邪魔になるからと城壁が取り壊され、堀が埋め立てられてしまいました。これは、維新後、日本でも城下町の堀が埋め立てられていったのと同様ですね。 奇跡的に残ったのが、この「大境閣」。といっても、1980年代ごろまでは町工場として使用され、民家の壁とくっついていたとか。1992年になって、やっと現在のように整備・保存され、一般に公開されるようになったそうです。 5元払って、建物の中へ。4時に閉館でしたから、30分前、ぎりぎりでした。1階は資料館、地図や往時の写真が展示されています。他の見学者は、若い女性がひとりだけ。上海の中心街から離れているし、観光地としてはかなりマイナーなようです。 地図の左上、赤丸がこの大境閣。そして中央上の黄色の四角が、6月のツアーで訪れた豫園。歩いて数分のところなんですね。 写真右が、往時の大境閣、堀も残っていますね。 1階の右側には、関羽廟。そもそもは、ここには矢台があったそうですが、倭寇終息後は矢台が廃されてこの大境閣が造られ、道教の寺院となったそうです。現在はちょっと荒れた感じがしますね。 建物の裏は、物置状態でした。 2階へ上ってみます。大境閣から、外側を見下ろすのに設置された「狭間」、日本の城郭と比べるのも面白いかもしれませんね。 大境閣二階の通路です。二階にも関羽廟が。 そして、正面から眺めて中央の凸部の二階がこちら。「熙春台」”THE SPRING STAGE”との解説が見えますね。 今回の上海訪問の目的のひとつ、上海城の遺跡「大境閣」の見学もこれにて終了。隣が、道教の寺院「白雲観」。清朝末期、1882年の築とされています。正面に3つの入り口がある点などは、6月のツアーで訪れた玉伝寺とよく似ていますね。こちらも興味深かったのですが、先を急ぐので撮影だけして次の目的地へと向かいました。 《余談》 大境閣を撮影していると、後ろから突然セミの声。それも、日本のセミと鳴き声が違う。子供の頃、夏はセミ採りしかすることがなかったので、セミには詳しい方なのですが。 さて、肝心の鳴き声。フレーズはアブラゼミ、音程はクマゼミ。つまりは、低い音でジリジリと鳴く。セミの姿を探すもなかなか見つけられず。飛び立つところをみると、羽根が透明だったような気もする。 ネットで検索してもわからない・・・。どんな姿なのか、今でも気になりますね~。 |