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大阪万博・イベント 

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 #3 「太陽の塔 黄金の顔」 11/03/06

 「EXPO'70パビリオン」の開館1周年記念として開催された「太陽の塔 黄金の顔」展を観覧するため、大阪の万博公園を訪問。「マニアエキスポ2007」以来、3年半ぶりです。



 (1)EXPO'70パビリオン

 大阪万博の記念館「EXPO’70パビリオン」は、大阪万博40周年に当たる2010年に、大阪万博の鉄鋼館を利用してが開館しました。開館以来、一度訪れてみたいと思いつつ、やっと実現、今回が初の訪問となりました。

 大阪万博閉幕直後から、当パビリオンが開館するまでの40年間における、大阪万博記念館の変遷は、以下のよう(『EXPO'70パビリオン 公式ガイドブック』参照)。

1970.9.13 大阪万博が閉幕。
1972.3.15 旧・協会本部別館を転用して、「日本万国博覧会記念館」が開館。
1990.3.31 「日本万国博覧会記念館」が閉館。
1991.11.2 記念館を改築した「生活誕生館DILIPA」の2階に、「EXPO'70ホール」が開場。
2010.1.19 「EXPO'70ホール」が閉鎖。
2010.3.13 「EXPO'70パビリオン」が鉄鋼館を利用して、開館。

 初代の「日本万国博覧会記念館」(18年間)、2代目の「EXPO'70ホール」(18年間)に次いで、3代目の記念館になるわけですね。「EXPO'70ホール」は07年に訪問、各パビリオンのスタンプが復刻してあり、当時を思い出しながらスタンプ帳に懐かしのスタンプを押せるのが楽しかったですね。ただ、ホール内は撮影禁止だったのが、残念でした。

 さて、鉄鋼館を改装して開館した「EXPO’70パビリオン」。エントランスホール(ホワイエ)に画かれた、当パビリオンのロゴ文字が、ひときわ目に付きます。「EXPO」「パビリオン」、幾つになってもいい響きです。それでは、さっそく企画展の方へ。


 入り口では、万国旗とパビリオンのホステスさん(最近だとアテンダント)のユニフォームがお出迎え。


 多くの展示の中でも夢中になって見入ってしまったのが、エクスポランドのペーパークラフト。会期中に乗ったダイダラザウルスに、ついつい目が。繰り返しになりますが、閉鎖前に再訪できなかったことが、本当に悔やまれます。


 次は、万博グッズ・コーナー。知らないものばかりで、こんなものがあったのかと、こちらも夢中に。エクスポランド・観覧車の模型と、日本館・リニアモーターカーの模型が気になりました。「世界の国からこんにちは」、本物のレコードを見るのは初めてです。



 (2)太陽の塔 黄金の顔展

 さて、いよいよメインの「太陽の塔 黄金の顔」。今年は、「EXPO’70パビリオン」開館1周年記念、そして、岡本太郎生誕100周年ということで、この企画になったのではないかと。会期中から1992年に張り替えられるまで、太陽の塔のてっぺんで輝いていた「黄金の顔」。現在の「黄金の顔」が2代目だということは、この企画展があるまで知りませんでした。


 間近でみると、予想以上の大きさです。直径が10.6mもあるんですね。


 こちらは、2階から「展望」。全体像が一望できます。


 1992年に行われた「黄金の顔」の大改修の様子を記録したパネル展示や記録映像も見ごたえがありました。記録映像は2回も見てしまいました。


 (3)シンボルゾーン模型

 2階に上がると、シンボルゾーンの模型が展示されています。「生活誕生館DILIPA」2階の「EXPO'70ホール」で展示されていたもの。当時は撮影禁止でしたが、ここでは撮影可能でしたので、いろいろな方向から撮影。

 写真左は、北側から眺めた大屋根。手前にエキスポホールと万博美術館があります。右がその2つの施設のアップ。閉幕後も利用されていましたが、2004年に閉鎖、取り壊しになっています。1984年に、国立民族学博物館を訪れた際は前を通っていたんですね(こちらの一番下の写真)。


 写真左は、会場の中央を通る中国自動車道と「北大阪急行線」。会期中は、ここに「万国博中央口駅」があり、大阪駅から電車が乗り入れていました。2回ほど、利用したような記憶が。

 写真右は、エキスポタワー。こちらも閉幕後、保存されていたけれど、老朽化のため2002年に取り壊わさえています。大阪万博会場>万博公園の変遷を辿ってみると、2002年の頃には、まだまだ多くの施設(万博遺跡)が残されていたんですね。



 (4)常設展示室

 それでは、常設展示室へ。真紅の壁で覆われた入り口には、大阪万博のシンボルマーク。テンションが上がりますね〜。スペースシアターホール(後述)を囲む回廊には、大阪万博に関する資料が時系列に沿って展示してあります。準備期間から、会期中の様子、そして会期後の取り組みまえ、回廊を一周するだけで、大阪万博が”疑似体験”できるように工夫がされています。


 中央が、40年ぶりに公開されたという、大阪万博・鉄鋼館の内部、スペースシアターホールです。会期中に入館しているはずなのですが、こちらの記憶はまったくないですね。

 その他、主な展示を紹介。写真左が、テーマ館にあった「生命の樹」。写真右は、「太陽の塔」と「大屋根」の模型です。


 こちらは有名な、岡本太郎作「手の椅子」。そして、右側が、会場を走行していた「電気自動車」です。現在も残されていたんですね。乗った記憶があります、とっても懐かしいですね〜。


 パビリオンのペーパークラフトを展示したコーナーも。写真左、高さ70mを誇る「虹の塔」。初めて万博会場に来た時、バスの車窓からこの塔を見上げながら感動していたことを、今でもよく覚えています。写真右が、一番最初に入館したパビリオン「フランス館」。夜景も美しかったですね〜。


 夜景と言えば、「スイス館」。私の中では、夜景が美しいパビリオンの中でダントツ1位です。そして、「みどり館」。この「みどり館」を背景に撮影した記念写真が1枚(こちらの下段)。それぞれのパビリオンには、それぞれの想い出があって、とっても懐かしいものですね。


 展示を見学後、水曜日にお邪魔した「EXPO CAFE」のマスター、「ばんぱ館長」さんにご挨拶。館長さんおっしゃるには、大阪万博当時、小学校高学年だった人たちが、今でも一番熱心だそうです。私もその内の1人になるんですね。感受性の強い時期に万博と出会って、万博の印象も強く残っているんではないかと勝手に推測。また、名古屋の方も多くいらっしゃているとか、万博開催地にはやはり、熱心なファンが多いようです。

 さて、岡本太郎生誕100年ということで、各地でイベントが開催されています(こちら参照)。そして、その内の一つがNHKで放送されている、岡本太郎の生涯を描いた「TAROの塔」(4回シリーズ)。ホールにポスターが貼ってありました。

 「太陽の塔」の創案が発表された当初、 当時の”有識者”の間では、「牛乳瓶のお化け」「日本の恥辱」と酷評されていたということは初めて知りました。縄文を意識した「太陽の塔」は、当時としては常識外れだったようです。それが今では 「高度成長期の日本のシンボル」となっているのですから、わからないものです。


 「鉄鋼館」から化粧直しした「EXPO’70パビリオン」。大阪万博の想い出に浸れる新しい場所が新たに誕生、万博ファンにとってはうれしい場所となりました。機会があれば、再訪したいものです。


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