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大阪万博・イベント
#4 「ニッポンの万国博」 13/04/10 EXPO'70パビリオンの開館3周年記念展として企画された「ニッポンの万国博」。「大阪万博から愛・地球博まで」のサブタイトルが示すように、日本で開催された5つの万国博に関する資料が一堂に紹介されました。公式記念品やポスターに始まり、ユニフォーム、パンフレット、関連グッズと展示内容も多彩。その他、今回初登場の絵画なども公開されるなど、万博ファンには見逃せない記念展でした。 パビリオンには、開館時間の10時に到着。日本一の大阪万博グッズ収集家として知られ、EXPO CAFEのマスターでもあり、現在はパビリオンの展示協力をされている「ばんぱ館長」さんこと、白井達郎氏にご挨拶(前回のイベントから2年ぶりです)。平日の朝一番、他に見学者もいなかったことから、展示を解説いただけることになりました。 ホールの入り口には、太陽の塔の関連グッズ。大きな陶器の「太陽の顔」、こういうものもあるんですね、初めて目にしました。 今回の展示のコンセプトは、記録集。 日本で開催された5つの万博。大阪博(1970)、沖縄博(1975)、つくば博(1985)、大阪花博(1990)、愛知博(2005)の記録集が展示。続く各万博のブースは、記録集の中を紐解くといった展示が続きます。 (1)2005年日本国際博覧会(愛知万博、EXPO2005) 最初のブースは、お馴染みの愛知万博。開幕したのがちょうど8年前。このような万博ファンになったきっかけの万博、入り口に画かれた万博のシンボルマークも懐かしいですね。 展示品の中でもメインとなっているのが、トヨタグループ館のパートナーロボット(写真左)。閉幕後もラグーナや産業技術記念館でその演奏を楽しむことができましたが、現在は演奏も終了。部品がないため、演奏可能なのはこの1台だけとのこと。 もうひとつの目玉が、マンモスの像(写真右)。グローバルハウスに展示されていた「ユカギールマンモス」の全体像を復元したもの(愛知県都市整備協会 所蔵)で、今回が初公開とか。 その他の展示については、愛・地球博記念館で見学できたり、パンフレット類などは個人的に所有しているものも多く、見慣れた資料が多かったですね。地元で開催された身近な万博、記憶に新しい万博、といえますね。 (2)国際花と緑の博覧会(花博、EXPO’90) 大阪万博の20年後に再び大阪で開催された万博。この万博に関してはまったくの空白、大阪で花博が開催されていることは知っていましたが、まったく無関心だったようです。 それでも記憶に残っているのが、世界最大の花とされた「ラフレシア」。直径80cm、重さ7s、当時でも結構、ニュースになっていました。館長さんによると、バブルの真っ只中の万博だったということもあり、展示もなかなか豪華だったとのこと。 当ブースにも、館長さんのコレクションが多く展示されていましたが、中でも目を引いたのが、一般商品とのコラボ。牛乳パックや缶に、花博のロゴ、シンボルマーク、キャラクターが画かれています。愛知万博でも多く発売されて、私も閉幕間近には収集するようになりました。このようなコラボ商品は、もう既に花博の頃にはあったのですね。なかなか残り難いものなので、貴重な資料ではないかと思います。 (3)国際科学技術博覧会(つくば博、EXPO’85) 大阪万博の15年後に、遠く茨城県で開催された、通称「科学博」。幸運にも、というか、偶然にも、というか、会社の慰安旅行で、このつくば博を訪れることができました。滞在時間はほんの、3〜4時間、入ったパビリオンは数館でしたが、奇抜なパビリオン群や多くの人波を見ていて、小学生当時に訪れた大阪万博を思い出したものです。撮影した写真も数枚しかないし、パンフレットも少ないですが、機会を改めてこのサイトで紹介できたらと思っています。 さて、科学万博というと連想されるのが、ロボット。展示されているスタンプロボット、時代を感じさせてくれますね。写真右は公式ユニフォームガイドブック、初見ですね。こちらも時代を感じさせてくれるデザインですね。 (4)沖縄国際海洋博覧会(沖縄博、EXPO’75) 大阪万博の5年後、沖縄返還のわずか3年後に開催された沖縄での万博。当時の私にとって、沖縄は遠い存在。この頃はまだ大阪万博の余熱が残っていて、ニュースで紹介される沖縄博の様子を見入っていた記憶があります。 沖縄博を除く4つの万博は、博覧会協会の後継団体が現在も存続するのに対し、沖縄博だけはもう存在していなくて、まとまった資料もないとのこと。今回展示された資料は、ユニフォーム以外はすべて、館長さんが個人で収集されたものといいます。万博の足跡を辿るには、本当に貴重な資料ですね。 沖縄博と言えば、未来の海上都市として出展された「アクアポリス」。というか、このアクアポリスのイメージしか、残っていないですね。手塚治虫のプロデュース、菊竹清訓が設計。菊竹といえば、大阪万博「エキスポタワー」、愛知万博「グローバルループ」の設計者としても知られています。3つの万博がここでも繋がっているわけですね。 今回の展示でも目がついつい行ってしまうのが「アクアポリス」関連。模型やスタンプは、まあ、どこの万博でも目にするものですが、お土産品に「アクアポリス」のプラモデルまであったんですね。
ちなみに、沖縄博の閉幕24年後の2000年1月に、たまたま参加した沖縄ツアーで、跡地となっている「海洋博公園」に行く機会がありました。「アクアポリス」は閉幕後も公園のシンボルとして活用されていたとのことですが、老朽化が進んで1993年に閉館。そして、2000年12月に撤去されることなりました。 写真は、訪問時に遊覧船から撮影した「アクアポリス」。撤去寸前の、最後の貴重な姿を目にすることができたというのは、今から思うと幸運でした。 そして最後のブースが、1970年に日本で初めて開催された万博、私にとっては万博の原体験となった大阪万博ですね。当時、大阪の高校生だった館長さん、会場内のレストランでバイトをされつつ、万博を満喫されたといいますから、万博ファンにとってはこれ以上にない羨ましい環境だったんですね。閉幕後に収集された大阪万博グッズは、1万点以上。今回の展示の多くも、館長さんのコレクションの一部といいますから、すごいの一言です。 大阪万博の関連グッズは、小学生当時にいくつか購入したのですが、展示を拝見していると、これほど多様なグッズがあったのかと、圧倒されます。当時は、お土産の定番だったぺナント、私も1枚購入しましたが、これだけの種類があったんですね。 大阪万博のテーマ曲と言えば、三波春夫の「世界の国からこんにちは」。他の歌手が歌ったバージョンもあったとは初めて知りました。懐かしい曲です。 以下は、今回特別に出展された美術作品。 福王寺法林(日本画家、1920-2012)による、「万博夜景」の屏風。30余のパビリオンが画かれている中で、ひときわ目立つのが「スイス館・デコレーションツリー」。太陽の塔とソビエト館に挟まれて、絵画の中央でひときわ明るく輝いています。スイス館は、私のお気に入りのパビリオンの一つ。我が家に残っている大阪万博の写真は、家族が撮影したものがほとんどですが、小学生だった私が唯一撮影したのが、夜のスイス館(こちら)。う〜ん、また見てみたいものです。 堂本印象(日本画家、1891-1975)による、「手をつなぐ」(京都府 蔵)。万国博ホールのどん帳に使用されていた絵画の原図といいます。会期中、美術館は入館しましたが、ホールは入っていません。大阪万博の音楽イベントの記憶はまったく残っていないです。 以上、5つの万博の展示ブースを簡単に紹介してきました。最後に、ユニフォームを時系列にそって紹介しておきます。
時代の推移を感じさせてくれますね。バブル期の花博、ひときわ目立ちます。 大阪万博当時は小学生4年生。訪問したパビリオンや会場の様子など、鮮明に記憶している部分もあれば、まったく記憶に残っていない部分も。また、地域的な要因、年齢的な要因からも、周囲に大阪万博について詳しく教えていただく方があまりいらっしゃいません。そう考えると、今日は、大阪万博をリアルに体験された館長さんに、当時の様子や裏話をお聞きできたのは、貴重な体験となりました。また、沖縄博は花博のことはあまり知らなかったので、新鮮でした。ありがとうございました。また、イベント時には訪問したいものです。 「ニッポンの万国博」を見学後、2Fの常設展示のコーナーへと行ってみることに。 つづく |