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岡本太郎・その3 

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#3 「若い太陽の塔」 12/02/12

 岡本太郎の生誕100年を記念して修復され、11年10月に公開が再開された「若い太陽の塔」を見てきました。場所は犬山市の日本モンキーパーク。子供たちが小さい頃、子ども会の行事で訪問して以来、十数年ぶりの訪問です。

 (1)日本モンキーパークへ

 名古屋から国道41号線を北上、旧国道と交差する五郎丸交差点を過ぎると、左手にモンキーパークが見えてきます。山腹に観覧車、そして小高い山の上に「若い太陽の塔」が確認できます。

南方向から眺めた「若い太陽の塔」

 第1ゲート(南門)まで行くと、目の前に「若い太陽の塔」がそびえたっています。まさに、モンキーパークのランドマークですね。十数年前に訪問した時も目にしていたと思われますが、「若い太陽の塔」と意識して見るのは初めてではないかと思います。

第1ゲートから眺めた「若い太陽の塔」

 ゲートをくぐると、目の前に案内図。

案内図

 ゲート前の案内表示からスロープを登りきったところが、催事館前の広場。ここから更に狭い散策路を登ると、すぐ目の前に「若い太陽の塔」が見えています。


 「若い太陽の塔」。青い3本の支柱の上に、黄金に輝く「若い太陽の顔」。支柱には赤と黄の”翼”が一対ずつ伸び、途中には展望台が設けられています。太陽に照らされて輝く黄金の顔が印象的ですね。

(クリックすると拡大します)


 (2)「若い太陽の塔」とは

 それでは、いったいこの「若い太陽の塔」とは何なのか?

 大阪万博の「太陽の塔」が1970年に完成しているのに対し、この「若い太陽の塔」はその前年に完成していることから、一部では「太陽の塔」の”プロトタイプ””原型””試作品”とも呼ばれています。実際にはどうなのかを、両者の製作された経緯を振り返りつつ、確認していくことにしましょう。

 両者の製作された過程を参考資料をもとに簡単にまとめると、下の年表のようになります。なお、犬山ラインパークとは、日本モンキーパークの開園当初の名称ですが、昭和55年(1980)に現名称に変更されています。

1967.7  岡本太郎、大阪万博のテーマ館プロデューサーに就任。
1967.10  「太陽の塔」の原型が完成。
1968.12
  
 名古屋鉄道は岡本に対し、1969年に犬山ラインパークで開催予定の万博記念イベントに、高さ30mに作り直した「太陽の塔」の出品を依頼。
1969.1  岡本、犬山ラインパークを視察、展望台の上に「若い太陽の顔」を設置することを決定。
1969.4〜12  犬山ラインパークで開催された万博記念イベントで、「若い太陽の塔」が展示。
1970.3〜9  大阪万博開催、「太陽の塔」がテーマ館として展示。

 
 「太陽の塔」の原型が完成したのは1967年。これ以後、各地の万博プレイベントで「太陽の塔」のミニチュアが展示されていたそうですが、犬山ラインパークも同様の流れの中にあったようです。

 同地を訪れた岡本は、「若い人たちが集まる犬山ラインパークに、輝く若さ、青春の彩り、未来を象徴する新しい塔を製作することを決め(中略)、モンキーパーク内の丘を視察する」。塔の上に金色に輝く《若い太陽の顔》を設置し、「顔の周囲を11本の炎で囲み、日に日に生まれ変わる姿を表現した。地上7メートルの高さに展望台を作り、《若い太陽の顔》のもとで広く景色を見渡せるようにした」(「企画展・解説パネル」より、下線は引用者による)。

 つまり、岡本は、単に「太陽の塔」のミニチュアをここに設置するのではなく、若い人たちに対する強烈なメッセージを込めた新しい塔、《若い太陽》の塔を作成したことがわかります。したがって、この「若い太陽の塔」とは、「太陽の塔」の原型でも試作品でもなく、岡本のメッセージのこもった「別作品」ということがいえます。

 「若い太陽の塔」前の広場に、岡本のメッセージが書かれたパネルが設置されています。英訳も解りやすいので併記しておきます。



  ”若い太陽”

    ひろびろとした丘の上に   ”若い太陽”が生まれる
    日に日に新しく生れ変る   われわれの生命の象徴
    金色に輝く顔はおおらかに  バイタリティを放射する
    赤 青 緑の粧いは      濃い青春の彩りである


                                   岡本太郎 

 
 TOWER OF THE EVER YOUNG SUN  
   
   At the top of the hill a young sun rises.
    (And every morning rises a new one.)
   Such in our soul fresh and new every day.
   The brilliant golden and smiling face dispend vitality.
   Red, Blue, and Green are the colors of the real youth.

 

 
                            TARO OKAMOTO


 ただ、「若い太陽の塔」の原型が、「太陽の塔」であるのは顔を見ればあきらかかと。
 《太陽の塔》の「太陽の顔」に、「黄金の顔」の黄金色と、「黒い太陽」の11本の炎を”合成”したのが、「若い太陽の顔」ではないかと想像されます。「バイタリティを放射する」黄金に輝く顔と、「濃い青春の彩りである」赤・青・緑の粧いが、「若い太陽の塔」の重要ポイントということになりそうですね。

《太陽の塔》「太陽の顔」 《太陽の塔》「黄金の顔」 ↓
《太陽の塔》「黒い太陽」 → 「若い太陽の顔」


 塔の高さを比較すると、「太陽の塔」が65m、「若い太陽の塔」はその2/5に当たる26m。並べると、下の写真のようになります。「若い太陽の塔」がランドマークとしての存在感が大きいのは、やはり小高い丘の上に設けられているからなのでしょうね(平城と平山城の違いみたいなものですね)。



 大阪万博の「太陽の塔」は、閉幕後に取り壊される予定であったのが、撤去反対の著名があったことから、1975年に永久保存が決定。「若い太陽の塔」も非公開(放置?)されていたけれど、同年に現在地に移転して、再公開されています。

 万博のために製作されつつ、閉幕後は放置。閉幕5周年に復活、その後も、改修や一部公開などを経つつ、記念事業の一環として往時の姿に”戻る”こととなっていきます。現在は公園のランドマークとしても人気を博しているという点でも、両者はよく似た歴史を辿ってきたのではないでしょうか。

1975 太陽  大阪万博閉幕後、取り壊される予定であったが、永久保存が決定。
若い  現在地に移転、公開が再開。
1994〜95 太陽  閉幕25周年を記念して、改修。
2003 太陽  塔内部を、閉幕後に初めて一般公開。
若い  劣化が激しくなったことから、一般公開を中断。
2010 太陽  万博40周年事業の一環として、「黄金の顔」の両目のライトが点灯される。
若い  日本モンキーパーク開園50周年を機に、限定公開。
2011.10 若い  岡本太郎生誕100周年に合わせて完全修復、公開が再開。



 <参考資料>
   平野暁臣(2008)『岡本太郎と太陽の塔』小学館
   岡本太郎生誕100年企画展(2011)「若い太陽の塔」解説パネル

 つづく

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