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岡本太郎・その1 

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#1 「未来を拓く塔」〜ぎふ中部未来博 08/01/03
 
 (1)ぎふ中部未来博

 1981年の「神戸ポートアイランド博覧会」(ポートピア)の成功を機に、80年代〜90年代は「地方博ブーム」が到来、そんな中、岐阜県で開催されたのが「ぎふ中部未来博」です。期間は、1988年7月20日から9月18日までの87日間、場所は、岐阜市長良川河畔の県営野球場跡地。

 未来博が開催されるに至ったそもそものきっかけは、名古屋オリンピック誘致の失敗とか。オリンピックに代わる中部地方活性化の起爆剤にと開催が発案されたとされていますが、その点は後に続く「世界デザイン博」(1989)や「愛・地球博」(2005)についても同様ですね。

 さて、当時はそんなに博覧会に興味があったわけではなかったのですが、チケットを頂いたので閉幕間近の9月4日に行ってきました。印象に残っているのは、博覧会の目玉とされていた世界最大の陶壁画「薄墨桜」(写真右)。ここで記念撮影をしたことだけは覚えているんですが、他の記憶はどうもおぼろげで・・・・。

 博覧会は当初の予想を遥かに超える入場者数、経済的にも成功したことから、多くの地方博の中でも成功例とされているようです。

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 (2)岐阜メモリアルセンター

 愛知万博が閉幕して2年ほど経った頃、家族で岐阜メモリアルセンター近くのホテルに宿泊。あの「ぎふ中部未来博」の跡地が現在、競技場や文化施設が集積する岐阜メモリアルセンターとなっています。「博覧会の遺跡が何か残っていないか」と期待しつつ、施設を散策してみることにしました。


 1)「未来を拓く塔」

 メモリアルセンターに入って、すぐに目に飛び込んできたのが、写真のモニュメント。ひと目で、岡本太郎の作品と分かるデザインです。


 近くに、このモニュメントの解説が記された石碑があり、未来博のシンボルタワーとしてこの場所に設置されていたことを始めて知りました(写真左)。岡本太郎のことばも見られます。

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  未来を拓く

    未来は時の流れの
    遠いかなたに
    あるものではない
    いま この瞬間に
    ナマ身でひらくのだ
    若い情熱 力強く
    日々 躍動する


               
岡本太郎 


 モニュメントは、結構大きなものです。塔自体は16m、台座を含めた高さは21mといいます。三本脚の馬のような下部に、大阪万博の「青春の塔」のようにポールの一番上に頭が見えます。各方向から撮影してみました(一部は、翌年に改めて撮影したものです)

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 金華山の頂上に建つ岐阜城を背景に、もう一枚。

岐阜城と塔


  2)その他の博覧会遺跡

 さらに、博覧会遺産がないかと散策。グランドの端には見覚えのある陶壁画「薄墨桜」。こちらも、「未来を拓く塔」と同じく、未来博の記念モニュメントとして残されているようですね。

「薄墨桜」

 その他、80年代ぽいデザインの設備やモニュメントもみられました。一部は会期後、メモリアルセンター建設時に設置された可能性があるかもしれませんが、合わせて紹介しておきます。

  @ 電気設備の施設でしょうか。現在は使用されていないような雰囲気。
  A 「未来への詩」 
    北ゲート前に設置、十六銀行がスポンサーのようです。 
  B 「山東竜化石彫刻」 
   未来博の目玉の一つ「山東竜の全身骨格化石」の原寸大の彫刻。西濃運輸の協賛です。
  C 「リープタワー」
    マラソンゲートの前に設置された、時計塔です。

@ 電気施設? A 「未来への詩」
B 「山東竜化石彫刻」 C 「リープタワー」

 万博会場だけでなく、このような地方博会場跡地にも、博覧会遺跡が残されているのを発見して、ちょっとうれしく思った、朝の散策でした。


 (3)『岡本太郎と未来を拓く』

 岡本太郎生誕100周年の2011年に、タイトルのような本が出版されています。ここには「未来を拓く塔」が当地に設置された経緯が詳しく記録されています。一部をここで紹介させていただくことに。

 仕事で大阪万博に関わる体験を持つ百貨店勤務(当時)の著者・鵜飼武彦は、万博期間前から「太陽の塔」を毎日見て過ごすことになり、「博覧会=シンボルタワー=岡本太郎」という構図が出来上がる。このことからか、岐阜で未来博が開催されるにあたり、岡本太郎に、未来博のシンボルタワーを製作するように依頼、岡本はこれを快諾。

 この少し前、岡本はアメリカ・フィラデルフィア市から、アメリカ独立宣言200周年記念モニュメントの依頼があり、既に模型を作っていたが、経済摩擦の影響でキャンセル状態になっていた。

 頭部はヒマワリのように八方にアンテナを張り、目は過去から未来を見通すように貫通し、首は長く遠くを見渡し、色は黄色・青・赤・緑の四色に。手は未来にはばたくように翼になり、脚三本が現在・未来・過去を表している、という。その作品を、未来博のシンボルタワーとすることになる。

 名称は、未来博にちなんで「未来を拓く塔」に決定。なお、「拓く」の文字は、鵜飼の提案で副知事(当時)の名前を使用したものである。

 本来ならアメリカに設置される予定だった塔が、岐阜の地に設置されることになったというエピソードは初耳、興味深い話ですね。

 今、改めて「未来を拓く塔」を見てみますと、
  赤・青・緑・黄の原色と金属色(金・銀)との対比
  「未来」「若い」「日々」「情熱」などのメッセージ、などなど
 犬山の「若い太陽の塔」と共通した点も見られますね。

   <参考文献>  鵜飼武彦(2011)『岡本太郎と未来を拓く』ユーアイシー出版

(2011.02.22) 

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