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大阪・万博公園訪問記 

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 (4)鉄鋼館

 「太陽の塔」から、イベント会場の「鉄鋼館」に向かって東へと進みます。会期中の地図と現在の地図を見比べながら、どこがどう変わったのかをチェック。右側の小高い広場が、あの[三菱未来館]の跡地なのかと思うだけで、感慨もひとしお。三菱未来館と言えば、愛知万博も大阪万博も大人気でしたねぇ。現在は、「万博おもしろ自転車広場」という名称で、こども広場となっている模様。今日は公園内、どこを散策していてもこんな調子でした。
 なお、現在の地図は、日本万国博覧会機構のサイト内の、ダウンロードの「園内マップ」を参照ください。

 記念公園内には、こども広場、芝生広場があちこちに点在し、パビリオン跡地や通路には植樹がされていて、あたかも城郭公園のよう。緑いっぱいの公園を進むと、左手に「鉄鋼館」がみえてきました。本日の目的のひとつ、「マニアエキスポ2007」の会場です(イベントは別稿予定)。当初より恒久施設として建設されたそうで、現在では「日本民藝館」とともに万博公園内に残る貴重なパビリオンの一つとなっていますす。

 会期中の「鉄鋼館」の記憶はまったくありません。スタンプ帳に「SPACE THEATER 鉄鋼館 EXPO'70」と文字の入ったスタンプがあることから、入館したのは間違いないようです。

 改めて見ると、「デカイ!」のひと言。四日市に移設された[オーストラリア館]を久々に見たときも同様の印象。愛知万博の外国パビリオンは、「モジュール」と呼ばれる均一の様式だったことから、建築家から散々こき下ろされていましたが、改めて大阪万博のパビリオンを眺めてみると、その批判も納得ですね。

 イベント見学後、再び”万博遺跡”巡り 「鉄鋼館」北側から「太陽の塔」のある西方向を眺めたのが写真右下。会期中は[東大通り]、現在は「東大路」と称されているようです。


鉄鋼館・西側 東大路


 (5)東の広場

 「鉄鋼館」から東口へ延びる通路も同様、会期中は[東大通り]と呼ばれていました。東側には[日本館]や[電気通信館]、西側には「夢の池」がありました。両親と行ったとき、父親がこの周辺から撮影した画像がいくつか残っています。本日、定点撮影した画像は、こちらのA〜Hの8枚。

 まずは、[日本館]や[電気通信館]のあったエリア。現在は「東の広場」と呼ばれる芝生広場となっています。こちらも運動会の真っ最中。万博公園も、名古屋でいうと「庄内緑地公園」のような地元に密着した公園になっているようですね。定点撮影はA〜Cです。

東の広場


 (6)東口

 定点撮影をしながら、「東口」まで行ってみました(写真上)。ここから南方向、つまり今まで歩いてきた「鉄鋼館」方向を振り返ったのが、写真下の[東大通り]です。この辺りを含め、「太陽の塔」より東側は会期中の区画がそのまま保存されていますし、通路も会期中と変わりません。どの地点にどのパビリオンがあったのか容易に想像がつきます

 この場所の定点撮影は、写真D・E。会期中の画像の撮影方向も写真下とまったく同じになります。
 正面に「鉄鋼館」が見えるのは会期中も現在も変わりません。会期中の画像を見ると、左側には[日本館]や[地方自治館]、観覧車、右側には[タカラビューティリオン]、「鉄鋼館」の向こう側には[三菱未来館]、そしてこの通路の真上に[動く歩道]があったんですね。写真Eの中ほどに大人一人と子供二人の姿が見えます。37年前の母親、兄、そして私です。

 現在はパビリオンの姿は「鉄鋼館」以外ありませんが、当時の面影が残っている[東大通り]をみると、会期中の様子がなんとなく想像できます。万博&遺跡ファンの私は、ついついうれしくなってしまいますねぇ。

東口
東口からみた[東大通]


 (7)「夢の池」とちびっこ広場

 [東大通り]をはさんで西側は「夢の池」。定点撮影は、こちらのF〜H。会期中の画像を見ると、池の噴水や「歩く歩道」などが見えます。現在はというと、通路の樹木で向こう側がほとんど見えません。夏季の城郭遺跡見学において、櫓や石垣が緑で覆い尽くされて、その様子がまったく観察できないのと、まるで同じ。遺跡巡りはやはり、草木が枯れた冬季に限りますね、寒いですけど。現在の写真で辛うじて確認できるのが、FとHの噴水「コロナ」の下部と頭部。あとは緑に囲まれてまったくわからない、という状態です。

 ところで、Fの写真。新・旧を見比べてみると、樹木のシルエットが似ていなくもないです。37年間でこれだけ成長したってことでしょうか。

 「夢の池」の近くまで行って撮影したのが、こちら。大阪万博・会期中の噴水がそのままモニュメントとして残されているとの表示。万博公園内で、一番会期中の姿を留めている風景はここではないでしょうか。噴水から水こそ噴射されていませんが、このような光景が残されているというのも、大阪万博ファンにはうれしいものです。


 「夢の池」の北側はちびっこ広場。お子さん向けの遊具が見られます。その中に、時代を感じさせるような建築物や設備を発見、ちょっと紹介していきます。

 写真左は、東口の裏にあるトイレ。写真右は、会期中の[夢の池休憩所]跡地に建つ「バーベキュー・コーナー」。う〜ん、直線的な意匠です。ご一緒したGさんに、「これって会期後の築でしょうか?」と聞いてばかりいましたが、どうも会期後のもののようです。公園にくつろぎに来ている人たちにとってはどうでもいいようなことでしょうが、”遺跡”ファンにとっては気になるところ。まあ、城郭遺跡でいうと、「維新前の本物」か、「維新後の復元」かと同じくらい、重要な問題点(?)です、はい。

東口トイレ バーベキュー・コーナー


 写真上はテント、左下は電気室の入り口のようです。問題は写真右下、何かの建造物の一部でしょうか? これらの施設を観察しながら、気になって仕方がありません。

 大阪万博のサイト「夢の址」で、これらの施設についての解説があるのを発見。作者さんによりますと、いずれも会期中の施設とのことです。すっきりしました。ありがとうございます。

テント
電気施設入り口 換気塔


 公園内を散策していて見つけたのが、シンボルマーク入りのマンホールの蓋。撮影したのがこの3枚(左上は拡大図)。ちなみに、愛・地球博記念公園のマンホールは、地元の長久手町の意匠となっています。
 


 ちびっ子広場を散策していて、思わず「オッ!?」と声を上げたのが写真左の「吸殻いれ」。デザインといい形といい、愛・地球博記念公園で見かけたもの(写真右)とまったく同じ。まあ、側面に「愛・地球博」のロゴ文字はありませんが。「ひょっとして、これは愛知万博から大阪へ”移設された万博遺跡”か」と、やや興奮気味の私。

 気になって、帰宅後、万博公園を管理する「日本博覧会記念機構」さんにメールで問い合わせ。すぐに、大変ご丁寧な返事をいただきました。愛知万博とは関係ないもので、「数年前にJTから寄贈された」とのことでした。恐らく、愛知万博にもJTより吸殻いれが寄贈され、それが愛・地球博記念公園でも使用されているということなのでしょう。

 このような万博オタクの下らない質問に、ご丁寧な回答をいただき、誠にありがとうございました。納得しました。

万博公園の吸殻いれ灰皿 愛・地球博記念公園の吸殻いれ

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