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万博遺跡レポート
#18 リニモ「万博会場」駅 06/01/17 一昨日は午後からの会場跡訪問、毎週の定点観察地点をまわるので精一杯、日が暮れてタイムアップとなってしまいました。月に一度はリニモに乗車して駅や車両の上からも会場跡を撮影していきたいと思っているのですが、今日は午後から尾張旭への仕事の帰り、ちょっと遠回りをして会場跡へ寄ることにしました。 久しぶりに長久手町図書館通りを通って県道長久手線へ。この図書館通りも以前は毎週、仕事で通っていた懐かしい道。開幕前に一度通ったときのことです。目の前、というか上にリニモの高架が突然現れたときには本当に驚きました。この辺りもすっかりと変ってしまいましたね。その図書館通りですが、長久手高校の近くでもまだ残っている万博の看板を見つけました。これです。 西ターミナル いつもの砂防公園に車を停めて公園西駅まで徒歩で移動。西ターミナルは早い時期に施設が撤去されてしまい、最近は月に一度の撮影。こちらも西ゲート周辺と同様、盛り土の撤去が進んでいます(写真左)。下の2枚の写真を比較してみてください。この付近は、もう会期中の面影はまったくありません。「荒野」といった状態です。懐かしの駐輪場跡(写真右)へ行ってみたら、駐輪場手前の橋がなくなっていました。こちらも万博用の仮設の橋だったのですね。
リニモ「万博会場」駅 公園西でリニモに乗車。リニモが到着するときのチャイム(メロディー)やアナウンスを聞くと、あの人ごみのなか、リニモで会場まで通っていたころのことがついつい思い出されます。でもホームは会期中と打って変ってご覧のようにガラガラ(写真左上)、車内も沿線沿いの大学に通われる学生さんだけのようです。乗客の伸びは予想以下、というニュースは新聞でよく目にしますが、まあ、この夏の公園再開後はまた、多くの万博ファンで賑わうことと思います。 公園の新しい名称は「愛・地球博記念公園(愛称、モリコロパーク)」と決定されました。つまり、万博会場の名称は以下のように変遷していくわけなんですね。 愛知青少年公園 → 2005年日本国際博覧会長久手会場 → 愛・地球博記念公園 夏には、「万博会場」駅の名称も、「万博八草」ともども変更されることとの思います。今のうちに駅のパネルを撮影しておきました。次はどんな名称になるんでしょうか。
「万博会場」駅では会期後、仮設部分の撤去が開始されました。会期中、藤が丘行きの乗車ホーム、万博八草行きの乗車ホームは仮設部分、降車ホームだけが残される部分です。駅の北側の仮設部分(写真左)はまだ残存しているのですが、南側、つまり、会場側の仮設部分は12月には撤去が完了しています。現在ではご覧のように、夏の公園再開に向け、南側に新しい乗車口が建設中です(写真右)。 リニモ駅・リニモからの展望 南側の仮設部分が撤去されたことで、ホームから北口周辺を展望できるようになりました。会期後、すぐに仮設部分は閉鎖、ここから定点観察をしようというもくろみは、みごとにはすれてしまいました。やっと会場跡を展望できるようになったホームへ、先月から月一度のペースで上がることにしています。 会場外からは見ることのできなかったコモン2や「愛・地球広場」、それにグローバルハウスなどが観察できます。カナダ館のパネルも健在、その他のパビリオンもまだ姿を留めています。 今度はリニモに乗って会場跡を撮影(他の乗客は学生さんばかりで、ちょっと恥ずかしいですが)。企業ゾーンの跡はサラ地。もうどこになにがあったのかはわからなくってきます。EXPOホール跡を過ぎると、コモン6が見えてきました。パネルが取り外してあるパビリオンもありますが、会期中の姿をよく残しています。後ろでは「大地の塔」の撤去が進んでいます。それにしても外国館、行き先が見つからないためか、なかなか撤去が進まないようですね。
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