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万博イベントレポート

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#21  「移転した万博遺跡巡礼の旅」(3)〜山陰路 08/07/19

 7月の連休、兄の住む松江へ行ってきました。私にとって松江は小学6年生の家族旅行以来、実に35年ぶり。今回は、そんな旅の途中に立ち寄った万博遺跡のほか、旅先で見つけたあれやこれやなどなど、この3日間の旅の報告をしたいと思います。


 1日目 京都にて

 (1)JR馬堀駅

 「万博&城郭遺跡巡礼の旅」は、昨年夏の関東訪問以降も継続中、今回で16回目となります。訪問した万博遺跡は、これまで105ヶ所。地域別一覧をみると、地元愛知県は数箇所を残しただけでだいたい制覇。遠方に残る未訪問の万博遺跡も、残すところあと数ヶ所となってきました。そして今回は、途中の関西の万博遺跡を訪問する絶好の機会となったわけです。

 仕事を早めに切り上げ、まずは京都へ。京都駅で山陰線・亀山行きの普通に乗り換えます。途中には、花園、太秦、嵐山など、聞き覚えのある地名が続きます。夏休みの初日である今日は、多くの家族連れや学生のグループで列車は満員。嵯峨嵐山を過ぎると、列車はやがて峡谷の中へ、そして峡谷を抜けると、万博遺跡のあるJR馬堀駅に到着です。
 

 馬堀は、京都市街とは打って変わって、田園が広がる静かなたたずまい。ここの駅前広場に移設されているのが、万博会場で利用されていたバスシェルターです。駅舎の前と右側のバス亭に、L字状にバスシェルターが設置されています。

 万博遺跡の移設場所で必ず探すのが、「愛・地球博で使用されていました」という表示。ありました、ありました、こちらにも(リンク先のページ、右下の写真)。この表示を見るだけで、ここまで来た甲斐があったというものです。

 これで、西日本の万博遺跡はほぼ制覇、残るは東日本。秋には長野・山梨方面へ万博遺跡巡礼の旅に出たいと考えているのですが(ガソリンの高騰が痛い!)


 (2)トロッコ列車

 駅前のバスシェルターを撮影している間にも、列車からは多くの観光客が降りてきます。馬堀は、トロッコ列車と保津川下りの始発駅として有名のようです(来るまで知りませんでした)。松江行きのバスの乗車時間まで、まだ十分に時間があったので、帰りはトロッコ列車でゆっくりと戻ることにしました。ここまで来る機会も滅多にないですからね。

 馬堀駅から徒歩で10分のところに、トロッコ亀岡駅(写真左)があります。売店やホームはトロッコ列車を待つ家族連れでいっぱい。そうこうしている内に、トロッコ列車(写真右)の到着です。

 公式サイトによると、嵯峨野〜「亀岡」間、7.3kmの観光鉄道線は、1989年に電化・複線化された山陰本線の新線ができるまで使用されていた、旧・山陰本線とのこと。馬堀まで利用してきた路線は、その新線だったんですね。35年前には、名古屋からブルートレイン・特急「出雲」で山陰に向かったのですが、当時は旧線、つまりは、トロッコ列車の観光鉄道線の上を通っていたことになるんですね。


 景勝地を走る旧線は、1991年にトロッコ列車の観光鉄道として再出発、当初の予想を裏切ってなかなかの人気のようです。トロッコ列車は、保津川(桂川)と平行しながら進んでいきます(写真左)。車内(写真右)のたくさんの家族連れも、車窓に拡がる景観に見入っている様子。開け放たれた窓から入ってくるひんやりとした風も快適です。


 保津川(写真左)を眺めていると、保津川下りを楽しんでいる船とすれ違います(写真右)。こちらは、江戸初期から400年の歴史を持つ産業水路だとか。長い歴史を持っているんですね。次々に追い越していく船を見ていると、ついつい船にも乗ってみたくなりますね。

 25分の、思わぬトロッコ列車の旅、快適でした。JR馬堀の万博遺跡訪問の際は、行きはトロッコ列車、帰りは保津川下りがお勧めです。



 (3)山陰へ

 京都駅まで戻り、15時半には松江行きの長距離バスに乗車。バスは名神高速道路から中国自動車道へ。途中で万博公園の「太陽の塔」や、何度か行ったことのある山崎町の街並みなどを眺めながら、やがては米子自動車道へ。

 大山PAで2度目の休憩。向こうには夕日に染まった大山が見えました。「山陰に来たんやな」って実感。


 バスは渋滞もなく、予定より早い20時には松江に到着。夜の宍道湖を眺めながら、松江城近くの兄宅へとぼとぼと。途中の県庁前では、ライトアップされた櫓群が内堀の向こうに見えます。次の日の松江城散策を思うと、久々にワクワクとしてきました。



 2日目 松江にて

 東海地方に住んでいると、「松江ってどこ?」という素朴な質問が出てくるくらい、山陰地方は縁遠い地域なのかもしれません。そこで、松江の位置と地理的環境を簡単に紹介しておくことにしましょう。

 山陰地方を見渡すと、ほぼ中央に、日本海に突き出た島根半島があります(地図参照)。その南側に、2つの湖、宍道湖(西側)と中海(東側)が並んでいます。宍道湖と中海は大橋川でつながっていて、さらに中海は日本海に通じています。宍道湖も中海も、海水の約半分の塩分濃度を持つ汽水湖として知られています。

 松江は、宍道湖の東側に位置し、大橋川が市域を分断しています。北側が旧城下町、南側がJR松江駅がある商業地となっています(地図参照)。

 (1)松江駅へ
 
 今日は前から楽しみにしていた、松江城散策の日。朝早く兄宅を出発、外堀を巡りながら、まずは松江駅へ行ってみることにしました。松江は、県庁付近の内堀が一部埋め立てられているものの、江戸期の内堀や外堀がほぼ完全な形で残されている、「堀オタク」の私には堪らない魅力的な城下町です。

 外堀(京橋川)を散策後、大橋川を渡って、松江駅のある市域南側へ移動。写真は、新大橋から西を眺めた様子。江戸期には唯一の橋であったという松江大橋が見えます。その向こう側がバイパスが通る宍道湖大橋、その向こうに宍道湖が広がっています。


 昨日は、松江駅をゆっくりとみることが出来なかったので、まずは近辺をちょっと散策。観光案内所で地図やパンフレットを収集(どこへ行っても、最初はこれ!)。

 駅前には、次の連続ドラマ小説「だんだん」をPRするフラッグ(写真右)があちこちに見られます。松江が舞台なんですね。タイトル「だんだん」は、島根方言の代表的なことば、標準語で「ありがとう」という意味です。もうすでに、市内のあちこちでロケが行われたとか。

 駅前のみやげ物売り場を見ていると、写真右のようなドリンクを発見。キャッチコピーが、
  秘蔵版・妖力全怪 目玉おや力EX 〜めだまおやじから 戦い続ける親父達へ〜
 目玉親父のイラストに引き込まれるように、思わず一本、買ってしまいました。ちなみに、松江市の東隣、鳥取県の境港市は、「ゲゲゲの鬼太郎」の作者、水木しげるの出身地。水木しげる記念館もなかなかの人気のようです。



 (2)松江城下町巡り

 元気が出たところで、駅前でレンタサイクルを借り、松江城下町の探検に出発。昨年、東京で江戸城(現皇居)の堀を自転車で巡ったのが快適だったので、今回も自転車で回ることに。限られた時間に、広大な区域を巡るのにはとっても効率的です(ただ、歩くのがシンドくなっただけかも)。

 駅の西には寺町、そしてその向こう側に宍道湖が広がっています。自転車を降りて小休止。青い空に青い湖、心が洗われますね〜。宍道湖東岸は白潟公園として整備されていて、散策するひとも多く見られます。こんな景色を眺めながら毎日散策できるというのは、うらやましい限りです。


 松江大橋を渡って、大橋川の北側へ。先ほど歩いた外堀の西端辺りから、反時計回りに城下町を一周することにしました。毎度利用する、旧城下図と現在の住宅地図を片手に、「この辺りが○○だったのか」と一人感心しながら、堀や橋を撮影しまくり。やがて、松江城天守閣が望める塩見縄手に到着。この辺りからは、ガイドブックによく紹介されている武家屋敷や小泉八雲記念館、そして観光客相手の食堂・おみやげ屋が続きます。

 このように午前中は、自転車で城下町の外周を見学。午後はいよいよ内堀の中の二の丸や本丸、さらに足を伸ばして観光客がほとんどいない稲荷神社や北の丸方面まで散策してきました。詳細は、姉妹サイト「城郭を歩こう」にアップの予定です。


 (3)堀川めぐり

 最後は、楽しみにしていた「堀川めぐり」。以前、テレビでこの堀川めぐりが紹介されていて、機会があれば是非乗ってみたいものだと思っていました。自転車で堀周辺を走っていると、堀を巡る船(写真左)と幾度となくすれ違います。本当に気持ちよさそうです。発着場は3箇所。私は大手前から乗船しました(写真右)。


  コースは、こちら。北内堀(北田川)の周囲は歴史的景観が残り、石垣や木製仕様に再建された橋(写真左)が見えます。そして武家屋敷などが並ぶ塩見縄手(写真右)へと続きます。


 自然が残る城山西堀川(写真左)、そして県庁付近からは外堀に入り、市街地を川面から眺めます(写真右)。先ほどは道路から眺めていた堀。反対に、その堀の中から、街を眺めるというのは、他ではできない貴重な体験。水運が盛んであった戦前には、どこの旧城下町でもごく当たり前の光景だったのでしょうね。


 
 かってはどこの城下町でもみられたであろう、堀川。各地の城下町を訪問していて目にするのは、流量がほとんどなく側溝と化したもの、埋め立てられて公園となっているもの、道路となっているもの、さらには市街地に埋もれてしまってその痕跡すらないものまで様々。

 松江の堀川も、戦後はドブ川と化し、埋め立てられて道路になる計画もあったそうです。状況に変化が見られたのが昭和40年代。行政や住民の間で堀川再生運動が起こり、宍道湖からの導水やヘドロ除去が進み、昭和63年には建設省の「ふるさとの川モデル事業」に指定されるまで、堀川の環境が回復していきました。

 そして、平成9年、松江観光の顔ともいうべき「堀川めぐり」が開始。きっかけは、「TDLの乗り物にヒントを得た」という市長のアイデア。50分の遊覧は、松江の歴史・自然に触れることのできる、「アトラクション」といえるかもしれません。

 当初は船に屋根がなく、雨の日は運休、夏の日は笠を被ったとか。原因は、屋根付きの船では、橋げたの低い橋を通過することができなかったから。そこで発明されたのが、「折り畳み式屋根」。

 これが実に面白いというか、スリル満点というか。橋げたの低い橋が近づくと屋根が低くなり、乗客も屈まないことには屋根に押しつぶされてしまいます(写真左)。極めつけは、写真右側の橋げた。屋根と船の隙間はご覧のよう、隣の方は屈む暇もなくそのまま寝転がっていました。思わず、ここでも1枚撮影。


 

 堀川巡りが終わったのが、17時ごろ。朝の8時に始まった松江城下町散策は、これにて終了。食事時間を除いても、約8時間。万博会場を1日巡っていたような感覚、堪能しました。天候にも恵まれ、いい写真もたくさん撮れました。

 と同時に、これだけの歴史的遺産や自然環境など、観光資源の多くみられる松江の魅力を実感できる1日でもありました。35年前は、武家屋敷周辺と松江城天守閣に登ったことしか記憶にないのですが、今回は城下町を隈なく回り、記憶に残る1日となりました。


 [参考文献]
 中国新聞松江総局 (1999)『松江 堀川めぐり』今井書店


 3日目へつづく

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