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万博イベントレポート

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 3日目 中海へ

 (1)朝の散策

 普段から「早寝早起き」の私、休日もついつい朝早くから目が覚めてしまいます。外はまだ薄暗いなか、自転車で周辺を回ってみることにしました。

 昨日はあまりゆっくりと見れなかった、松江城下の一番西に位置している「四十間堀」へ。埋め立てにより狭くなった箇所もあるようですが、南の辺りは江戸期の状態のまま残されていて、川幅もかなりの広さ。東の空がだんだんと明るくなってきました。朝焼けに映える外堀(写真左)、なかなか趣きがありますね〜。

 堀をさらに南下、市役所の前を通り過ぎ、宍道湖へとたどり着きます。ここにはポンプ場が設けられ、堀川の水位を随時、調整しているとのこと。宍道湖畔に降りてみました。北岸にも遊歩道が設けられ、朝早くから散歩している人がちらほらと見受けられます。すれ違う人たちと挨拶、気持ちのよい朝です。宍道湖を眺めていると、まもなく東の空が眩しくなってきました(写真右)。

四十間堀川 宍道湖


 (2)中海へ

 松江を離れるまで少し時間があったので、車で中海へ出掛けることにしました。宍道湖は見たので、やはりもうひとつの湖、中海も見ておきたいですものね。朝6時に出発、まだ車が少ない松江市街を通り抜け、大橋川沿いに東進、ほんの20分位で目的地の中海へ到着しました。

 内陸県育ち、現在は人工的な海岸に囲まれた名古屋で生活している私にとって、自然の姿を残す水辺はとっても心が安らぐ場所。まだまだ暗い湖面に雲が映え、なんとも美しい光景。視線を右方向に移すと、遙か向こうに大山が見えました。写真右の中央あたりにぼんやりと山影が見えますが、お分かりになりますでしょうか?

中海(県道260号線、上宇部尾より) 同。

 
 (3)「堤防」

 中海の中に浮かぶ大根島(八束町)へ渡ってみることにしました。地図を見ると、松江側と大根島が県道338号線で繋がっていているので、てっきり橋が架かっているものだと勝手に想像。地図(写真左上)の赤い線が、その県道です。

 ところが予想に反して、大根島まで延びる県道は橋ではなく、映画『十戒』ではないですが、湖の中を延々と一本の道路(写真右上)が貫いています。今までお目にかかったことがないような不思議な光景。ちょっと気になって、道路右側の高台に登ってみました。

 高台の上から松江方面を振り返ったのが、写真左下。こりゃ、どうみても堤防ですね。なぜこのような堤防が湖の真ん中に作られているのか不思議に思いながら、今度は道路北側の湖(写真右下)へ回ってみました。朝日に照らされて輝く湖面、向こうの浮島には赤い鳥居が見えます。なんとも厳かな、そしてのどかな風景、しばしの間、見入っていました。

「だいこん島」の地図 「堤防」。だいこん島方向を臨む
「堤防」。松江方面を臨む。 「堤防」北側の中海。


 松江に長く居住する兄によると、この堤防道路は、かの有名な「中海干拓・淡水化事業」の名残とか。そういえば、計画途中で中止され公共事業の極めて稀な例だと、当時のマスコミで大変な話題になっていましたね。調べてみると、事業計画の廃止の手続きが完了したのが2005年といいますから、ほんの3年前のこと。

 この干拓堤防が造成された後、事業は凍結されましたが、堤防だけはその後もこのような状態で放置されているみたいです。もし、干拓事業が計画通りに推し進められていたら、この干拓堤防の北側(中海の1/5)は埋め立てられ、南側の残された中海は淡水化されていた、ということになるんですね。そして、今日、中海に浮かぶこの浮島を見ることはなかったでしょう。

 なんか思わぬ所で、不思議な”遺跡”を拝見させていただいた、という心境。そして、「中海干拓事業」中止の話を聞いて、諫早湾干拓事業長良川河口堰、今年4月に満水となった徳山ダムのことが連想されました。高度成長期の立案、莫大な税金投入、環境破壊、翻弄される地域住民・・・・。一連の”公共事業”の共通項がいくつも浮かんできました。中海干拓事業は中止されましたが、諫早湾や長良川河口堰、徳山ダムはこの先、いったいどうなっていくんでしょうか。 


 (4)江島大橋

 大根島は、ボタンの名所とのこと。各所にボタン畑が見受けられます。私の故郷に有名なボタン園があり、幼い頃からボタンに慣れ親しんできた私としては親近感を覚えます。平坦な土地を走って行くと、遠くに巨大な橋が見えてきました。大根島を一周してから帰るつもりが、気が変わり、ちょっと橋の向こうまで行ってみたくなりました。ちなみに、対岸から撮影したのが下の写真、その大きさが分かるかと思います。


 この橋の向こう側は鳥取県。「いよいよ、県境を越えるぞ!」と思いながら、急勾配の橋を上がっていくと、上りきったところで、見覚えのあるモノとばったり遭遇。「なんでこんな所に?」とびっくり仰天。そのモノとは、こちら。いや〜、本当に驚きました。

 このモノ、愛・地球博広場に設置されていた27基のうち、10基が愛知県各地に移設され、残る17基は大芝生広場にそのまま残されています。一般では、単なるP社製品に過ぎないのかもしれませんが、私にとっては、万博遺跡追跡の象徴的な存在。

 P社公式サイトによると、同機は、アテネオリンピック会場、国内では木曽三川公園を始め全国各地で利用されているとか。江島大橋の上に設置されている4基も、そのうちの一部なんですね。でもまあ、島根・鳥取県境に掛かるこの橋の上で、これを懐かしそうに眺めている人なんて、まずはいないでしょうね〜。


 さて、ここで江島大橋から南方向に広がる中海を眺めてみることにしましょう(クリックすると、拡大します)。

 @は、鳥取県側を望んだもの。逆光でやや見難いですが、はるか向こうに大山が確認できます。大山は、鳥取西部の至るところから展望できるランドマーク、濃尾平野・近江平野だと伊吹山みたいな存在ですね。

 Aは、南方向、中海を望んだもの。右端に橋脚がいくつか見えます。これは、中海を淡水化する目的で1974年に建設された中浦水門の残骸。島根県と鳥取県を結ぶ重要な交通路として利用されてきましたが、淡水化事業中止に伴い、無用の長物に。05年に水門の撤去が開始され、09年には完全に撤去されるといいます。そしてその代わり建設されたのが、この江島大橋だったわけです。今回、たまたま橋の上から眺めたこの水門の残骸。こちらも、なんか貴重な”遺跡”を拝見させていただいたような気分です。

 Bは、島根県の大根島を望んだもの。中海の向こうに見える松江の山々と比較しても、大根島がいかに平坦なのかがよく分かりますね。

@南東方向を望む A南方向 B南西方向



 (5)水木しげるロード

  江島大橋を向こう側に渡ると、そこは鳥取県境港市。橋から中心街まで結構近そうでしたので、行ってみることにしました。境港と言えば、「魚」。そして最近は、「水木しげる記念館」。前述のとおり、境港は「ゲゲゲの鬼太郎」の作者、水木しげる氏の故郷なんですね。
 
 「ゲゲゲの鬼太郎」といえば、小学2年生のとき、白黒でみた「テレビ漫画」(当時は、アニメなんてシャレた名称は、ありませんでした)が最初の出会い。どこか悲しくはかなげな、マイナー調のオープニング&エンディング・テーマが強烈に記憶に残っています。

 その後、カラー(!)で何度もアニメ化され、最近は映画化されるほどの人気ぶり。40年近く鬼太郎を見つめてきた世代としても、現在の人気ぶりはうれしいものです。そう言えば、愛知万博会場にもなぜか「水木しげるのゲゲゲの森」が、設置されていましたね。

 境港駅裏の駐車場に車を止め、境港の名所となっている「水木しげるロード」へ足を運んでみました。JR境港駅や商店街は、鬼太郎一色。駅舎前には、鬼太郎やねずみ男に囲まれた水木氏の銅像。駅舎のシェルターには、ご覧のように一反木綿。なかなかの凝り様です。

JR境港駅

 時間は、まだ朝の8時。でも、通りを散策する家族連れやカップルが、既にちらほら、10組くらいとすれ違ったでしょうか。なんでも、今年のGWには数万の人出で、すれ違うのも大変だったようです。夏休みは入ったばかりの今日も、午後になると多くの観光客でごった返していたかもしれませんね。

 「水木しげるロード」の両脇には、妖怪のブロンズ像が設置されています。人気者のねずみ男。そして、昔から変わらぬ活躍ぶりの子泣きじじい。皆、触っていくのか、顔や頭がツルツル。

水木しげるロードのモニュメント

 多くの登場人物の中でも、一番の人気は、ご存知「目玉親父」。「鬼太郎、逃げるんじゃ!」という、40年前から誰もが物まねをしている、あの甲高い声をついつい連想してしまいます。

 駅前のブロンズ像、交番や街路灯の電球、そして一番の極めつけは「目玉親父」のお菓子。食べたいような、食べたくないような。このお菓子の人気のほどは、いかがなものでしょうか?


  メインとなる「水木しげる記念館」は午前9半の開館。そんなにゆっくりとしている時間もなく、前を通っただけで今回はパス。機会があれば、訪れてみたいものです、松江中心街から車で40分ほどですから。

 境港の駅前通りは、ほとんどが鬼太郎関係の食堂・みやげもの屋。境港にとって、鬼太郎は貴重な観光資源なんですね。そんな中、昭和30年代を彷彿とさせる懐かしい駄菓子屋さんを発見。店内の雰囲気は、子どものころに通っていた近所の駄菓子屋さんそのもの。本当、懐かしいです。なんか、小学2年生の頃にタイムスリップしたような、境港の商店街でした。

記念館 商店

 
 来た時と同じ道を帰るのが嫌いな私、帰りは中海北岸の干拓堤防で松江まで戻ることに。知らない土地で知らない道を走るのも、これまた楽しいものです。そうこうしている内に、島根大学のキャンパスの横を通り抜け、松江市街に戻ってきました。


 昼前には、関西行きの長距離バスに乗り込み、松江を出発。兄の住む松江、機会があればまた訪れたいものです。8月9日の松江の花火大会には、長女が友達を誘って一緒に行く予定とか。”島根のおじさま”にも会いに行くといっていました。島根県のあちこちの名所を、楽しんできてもらいたいものです。

 バスは松江を離れ、米子自動車道へ。車窓から見える大山に別れを告げ、3日間の松江の旅も終了となりました。収穫の多い、楽しい旅でした。


                                                        おしまい
 

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