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万博イベントレポート
#17 「移転した万博遺跡」巡礼の旅・2 〜 東京・神奈川へ 07/06/24 移転先の地域別一覧表を作成していて、まだまだ未訪問の万博遺跡が東京・神奈川方面に残っていることを再認識、これを機に訪問することを突然思いつきました。万博遺跡があちらへ移設されたという話題はかなり早い時期から伝わっていましたが、なかなか行けず仕舞いでした。 平日のみ見学可という施設が一箇所ありましたので、天気予報とにらめっこしながら、訪問日を12日(火)〜13日(水)に決定。ということで、この2日間の万博&城郭遺跡の旅の報告したいと思います。 1日目 東京へ (1)上野・国立科学博物館 11時に仕事を切り上げ、東京行きのひかりに飛び乗りました。東京へは、子供たちを(私のあまり関心のない)TDLへ連れて行って以来5年ぶりでしょうか。 1時にはもう上野駅に降り立っていました。公園側に降りて歩くこと数分、昭和5年に建築されたという重厚な建物が現れます。これが一番目の目的地、国立科学博物館。このレトロな建物のB1階に、長久手日本館の目玉だった「地球の部屋」が移設されています。 チケットを購入し、一目散に「地球の部屋(現・THEATER360)」へと向かいます。大きく「THEATER360」と書かれたゲート(写真左)をくぐると、赤く大きな球体へと通路が続きます。シアター入り口には、係員の方と入場を待つサラリーマン風の男性ひとり。東京在住の方らしく、愛知万博へは閉幕間際に駆け込みで入場、長久手日本館は3時間待ちだったので、結局入場を諦めたとのこと。したがって、長久手日本館の映像をみるのは初めてだと(うれしそうに)おっしゃってました。 長久手日本館へは、私も5月の来場時に一度入っただけ。入場者数がまだ7万人台で会場は結構空いていたはずなのに、ここは90分待ち。でも、映像に関しては、三菱未来館と同じくらい、とても印象に残りました。
天球にはいると、「あぁ、そうやった、そうやった」とあの時のことが想い起こされます。上映間近になると、修学旅行と思われる中学生が十数人、駆け込みで入場。あとは数組の家族だけ。会期中と比較にならないほど、ゆったりと鑑賞できました。 上映が始まります。映像は、3つあった地球博映像のうちのひとつ「青の輝き」。会期中で見たものと同じです。まるで空中や水中を移動しているかのような、独特の浮遊感。「あぁ、そうや、そうや」とこれまた会期中のときのことが、フラッシュバック。でも、あっと言う間に上映終了。「こんなに短かったっけ」と思っているうちに、科学博物館オリジナルの「マントルと地球の変動」。全天球型シアターならではの映像を上手く利用しながら、科学的な解説がなされていて、興味深いものでした。 (2)東京・新日○石油 東京では、江戸城(現・皇居)の内堀を右回りに一周しながら、虎ノ門と麹町の2件の万博遺跡を巡ろうと計画。上野駅で遅い昼食をとった後、2時過ぎに有楽町のレンタサイクル店へ。ちょい疲れていたので、電動自転車をお願いしました。これでも1日、525円ですから、かなりお徳ですよね。 まずは、江戸城の南東隅に当たる日比谷を出発、桜田門辺りまで内堀の撮影をしてから、2つ目の目的地、新日○石油・虎ノ門ビルに展示されている「銀河時計」へと向かいました。外務省や財務省の前を自転車で横切りながら(やけに重々しい警備が印象的)、ほどなく目的地に到着。 実は会期中、「銀河時計」なるものは全然しりませんでした。グローバルハウスの入り口付近に展示してあったらしいのですが、会期後に移転したというニュースで初めてその存在を知りました。虎ノ門ビルのホールに入ると、大きな「銀河時計」が目に飛び込んできました。「これが、銀河時計か」、と感激しておれたのもここまで。 受付のガードマンの方に、訪問目的を告げると、一般の見学・撮影は一切不可とのこと。前もって見学希望の電話をしたときには、「土日は閉まっているので、平日の営業時間に来てください」と告げられただけだったのに。そのことを話しても取り付く島もなし。奥にいる担当者に掛け合っていただきましたが、「そんなこと(=万博ファンの見学)に、いちいち対応していられない」とのご返事。 今まで、企業が所有する「万博遺跡」を数多くみてきましたが、各社の関連施設や博物館に展示されていて、万博後も広く一般市民に開放されています。しかし、ここではどうも様子が違うようです。万博に出展したことを、関係者に誇示するために展示されているようです。各企業の、万博や万博ファン(さらには一般市民ということになるんでしょうか)に対する考え方も様々であることを実感。まあ、この「銀河時計」とは初めから縁がなかったんだと自分に言い聞かせながら退散しました。 (3)東京・いきいきプラザ一番町 気分を取り直して、次の目的地へ。国会議事堂の前を通過しながらまた、内堀へと戻ります。 国会前からは、先ほど訪問した桜田門が見えます(写真下左)。桜田濠(内堀の一部)に沿って進むと、一段と坂が厳しくなっていきます。この辺り、三宅坂というそうですが、坂を登りきった国立劇場前からの眺めが写真右。かなり登ってきたということがお分かりだと思います。と同時に、地形を上手く利用して堀が造られているものだと、もう城郭ファンの目に変わっていました。 いままで東京では公共交通機関しか利用したことがなかったので気が付かなかったんですが、、本当に坂の多いこと、多いこと。今日は、電動自転車で正解でした。
半蔵門辺りからまたまた脇にそれ、3つ目の目的地へ。起伏が激しい住宅地の一角に、千代田区の老人福祉施設「いきいきプラザ一番館」があります。こちらには、チュニジア館に展示されていたモザイク画が、チュニジア大使館から直々に寄贈されたとのことです。 受付で来意を告げると、担当者の方が駆けつけてくださいました。モザイク画が展示されているB1階ホールのロビーは、イベントのないときは閉鎖中とのことでしたが、わざわざ開けていただきました。ロビーの一番目に付くところに、その大きなモザイク画が掲げられていました。大切に展示されている様子が伺われます。 モザイク画の撮影は可でしたが、サイト上での公開は不可とのこと。それにしても、先ほどとは異なり、丁寧に対応していただけたことに感激、ありがとうございました。 (4)東京・江戸城内堀 いきいきプラザ一番町を出たのが、4時過ぎ。東京における3箇所の万博遺跡訪問も無事(?) 終了。後は、残る内堀を自転車をこぎながらゆっくりと回ることにしました。 千鳥が淵の桜並木が続く公園は、静かなたたずまい。江戸城北の丸にある田安門からは下り坂が始まります。清水門、平川門を過ぎると官庁街が見えてきます。それにしても、テレビでみるとおり、ジョギングしている人がやたらに目に付きますね。 東御苑になっている二の丸、外苑になっている西の丸下を通り過ぎ、出発点の日比谷に戻ってきたのが5時半。3時間半の都心のサイクリング、なかなか楽しかったです。機会があれば、次回は外堀や外郭の堀(神田川)にも足を延ばしてみたいものです。自分の足で実際に移動してみると、江戸城の広大さが実感できますね。なお、江戸城一周の報告は、最近立ち上げた城郭サイトにアップしたいと考えてはいるんですが、万博サイトが一段落してからのことになりそうです。
自転車を返却後、八重洲ブックセンターでうろうろしたあと、今晩の宿泊先である川崎に移動。7時には駅前のカプセルホテルにチェックイン。一風呂浴びてから飲んだビールのおいしいこと。たまには一人旅もいいものです。次の朝も早いので、とっとと就寝。明日へ備えます。 |
2日目、神奈川で 2日目の予定は、神奈川県内4ヶ所の万博遺跡訪問。そして、時間的に余裕があれば小田原城散策。4ヶ所は距離的にも離れていて、移動に時間が掛かるんではないかと思い、朝の6時過ぎにはホテルをチェックアウト、万博遺跡巡礼の旅へ出発です。 (1)川崎・等々力陸上競技場 通勤ラッシュで混雑するJR川崎駅から、南武線で武蔵中原へ移動。中原からは、東海道の脇街道であったという中原街道をひたすら東へ歩くこと15分、今日の1つ目の目的地、等々力(とどろき)陸上競技場に到着です〔7:00〕。 当競技場は、J1の川崎フロンターレのホームグランド。川崎市も全面的にフロンターレを支援しているようで、川崎駅周辺はもとより街道筋や競技場周辺も、フロンターレのチームカラーである青色のフラッグ(写真左)がはためいています。競技場で見つけた自販機もご覧のように、フロンターレのロゴ入りです(写真右)。
目的の万博遺跡は、メインアプローチに立つ7基の風力発電モニュメント。電力館の前庭に設置してあった、風車付きの白い電柱のような鉄塔。現在は、青色に塗り替えられて、周囲のフラッグと違和感もなく立ち並んでいます。愛知万博で使用されていたとの表示もあり、万博ファンにはうれしい限りです。 このモニュメントは、東京・神奈川方面に移設された万博遺跡の中でも、早い時期に移設が決まり、新聞でも大きく報道されました(06/03/17新聞)。いつかは関東に移設した万博遺跡も見に行ってみたいと思うきっかけを作ってくれた、思い入れのある万博遺跡でもありました。 ジョギングしたり散歩したりする人が時折、通りがかるだけの早朝の公園。ほんの十数分の対面でしたが、久しぶりに再会した万博の想い出に向かってシャッターを押し続けました。 (2)鎌倉・建長寺 今まで歩いてきた中原街道を更に東へ進んで、東急新丸子駅へ。ちょっと分かりにくい場所でしたが、通勤・通学で早足に歩く人の流れに付いていくと、まもな駅に到着。東急・東横線(下り)で横浜駅へ、そしてJR横須賀線に乗り換え、次の目的地鎌倉に到着です〔8:30〕。 2つ目の目的は、鎌倉の古刹・建長寺に移設された「釈迦苦行像」。パキスタン館から寄贈されたものです。出発前に電話で確認すると、現在は公開中ということでひと安心。ただ、釈迦苦行像が安置されている法堂(はっとう)で法要が催されるときは非公開となるそうですので、参拝希望の方は要注意です。 ところで、鎌倉は中学の修学旅行以来、30年うん年ぶり。このようなことでもない限り、なかなか来る機会がないということですね。東京でのサイクリングが非常に快適だったので、ここでもついついレンタサイクルを借りました。でも、料金はめちゃ高い。それに建長寺までは途中から登り坂。もちろん電動ではありませんので、しんどいこと。自転車から降りて、ちょっと歩くとまもなく建長寺が見えてきました。 建長寺は、1253年に鎌倉幕府の執権、北条時頼が建立した日本最古の禅寺といいます。当時の建物は火災により消失、現在の建物は江戸期に再建されたものだそうです。重要文化財に指定されている仏殿(写真左)の向こう側に、釈迦苦行像の安置されている法堂があります。 お堂の中へはいると、荘厳な雰囲気の拝殿の中央に釈迦苦行像が。万博のときの雰囲気と全然違っています。こちらも厳かな気持ちになり、思わず手を合わせました。 建長寺参拝後は、風を切って下り坂を駆け抜け、麓の鶴岡八幡宮へ。鎌倉へせっかく来たのですから参拝させていただきました。境内はここも修学旅行生で大変な賑わい。私も修学旅行で来たはずなんですが、ここは全然記憶にありません(昔のことは結構、詳細に覚えているほうなんですけど)。
帰りは土産物屋が軒を連ねている通りをゆっくりと見学しながら駅へと逆戻り。でも、さすが観光の街ですね。先ほどと比べると、駅周辺は観光客でごった返していました。修学旅行以来という鎌倉見物は、1時間半で終了。あちこちで見かける修学旅行生の団体を見ていると、こんな頃もあったっけ、となんだかシミジミと時の流れを感じた、鎌倉の朝でした。 (3)茅ヶ崎・茅ヶ崎公園 鎌倉駅から横須賀線で大船へ戻り、東海道本線に乗り換え。鎌倉からわずか17分で、次の目的地、茅ヶ崎へ到着〔10:20〕。生まれて初めて降り立つ場所。こんなことがあるまで、茅ヶ崎がどこにあるかもわからなかった(岐阜県生まれの)私でした。駅前(写真左)に降り立ち、ちょっと感慨深げ。 3つ目の万博遺跡は、ギリシャ館のグローバルループ側にあったという「サスティナブル・リサイクルベンチ」。まったく知りませんでした、このようなものがあったとは。会期中のギリシャ館の画像を探してみると、グローバルループがそんなに混雑していなかった時期の写真にどうにか写っていました。ここは、まん前にグローバルトラムの乗車場があり、乗車待ちの人でごったがえしていたところ。人影に隠れていたので、このベンチに気が付いた人は少なかったんではないでしょうか。 ベンチの移転先は、海岸近くにある茅ヶ崎公園の一角。駅の観光案内所で地図をいただき、近道である「高砂通り」をひたすら南に進みます。曲がりくねった道は、かっての街道のような雰囲気(写真右)。今まで街道歩きで通った中仙道と雰囲気が似てなくはないんですが、実際はどうなんでしょうか。 海岸まで1キロの行程を歩きながらも、「この光景を眺めるのはもう一生ないんだろうな」、と思うと、住宅地の続く平凡な光景も実に新鮮に写ります。それは、中原でも同様。そう考えると、目的地から目的地への移動も楽しいものです。
幼稚園を過ぎ、テニスコートが見えてきました。そこが、茅ヶ崎公園。小さなお子さんを連れたお母さん方で、なかなかの賑わい。実にいい環境の公園です。ベンチは公園の入り口に一つ、そして公園内に複数個、設置されています。こちらも万博に使用されていたとの表示がきちんとしてあり、私は大喜び。でも、平日の昼間に、顔をほころばせながら公園内のベンチを撮影しまくっているというのも、客観的に見るとヘンかもしれませんね。 公園の南を通る国道134号線を横切って、海岸へ。サザンビーチって言うんですね。海風に当たりながら、久しぶりに見る水平線、気分も爽快です。でも、元気なのはここまで。茅ヶ崎駅までは、バスで戻りました。 (4)平塚・リサイクルプラザ 4つ目の、そしてこの旅最後の万博遺跡は、平塚市のリサイクルプラザに移設されたモザイクタイル。茅ヶ崎からJR東海道本線で西隣の平塚へ移動。相模川を越すと、閑静な住宅地から工業地帯へと風景が変わっていきます。 すぐに平塚駅に到着〔11:00〕。駅前の神奈中(「神奈川中央交通」の略らしいです)のバス検索機で行き先の「平塚市リサイクルプラザ」を検索すると、目的のバスの出発時間がもう迫っていました。急いで飛び乗ります。バスに20分ほど揺られると、「平塚市リサイクルプラザ」バス亭に到着。まん前にはリサイクルプラザの方向を示す看板があり、初めての訪問者にはとても親切、助かりました。
町工場が並ぶ中を歩いて2〜3分で、目的地のリサイクルプラザへ。玄関前にはひっそりと、瀬戸会場の海上広場に飾られていたモザイクが置かれていました。他の万博遺跡と比べるとちょっと地味な展示ですが、このように大切に保存されているというのは、万博ファンにはうれしいもの。見学後、モザイクタイルを軽く撫でながら別れを告げ、リサイクルプラザを後にしました。 バスは、待ち時間もほとんどなく到着。車窓からの光景を「これが最初で最後やな」などと、いつもの調子で感慨深げに眺めているうちに、平塚駅前に到着。せっかく平塚まで来たので、ぶらぶらと駅前商店街を散策してみました。 私にとって、平塚といえばJリーグの「ベルマーレ平塚」しか思い浮かばないのですが、そのベルマーレ、現在は「湘南ベルマーレ」としてJ2で活躍しているようです。それにしても、スポーツチームの宣伝効果というのは抜群ですね。ちなみに、こちらにも応援のフラッグが(写真右)。
(5)小田原城 平塚で昼食をとってからJRで小田原へ移動。到着はまだ昼の1時15分。当初の予定より2時間は早いでしょうか。土地勘がないので、余裕を持ってスケジュールを組んだということもありますが、どこも公共交通機関が発達していて、待ち時間もほとんどなく移動できたことが大きいですね。 お目当ての小田原城は12年ぶり、2度目の訪問。前回は天守閣に登っただけ、今回の目的(というか、最近の私の関心)は、堀の散策。朝の6時から活動し詰めでしたので、かなり疲れてはいたのですが、小田原城の水堀(写真左)をみるともういつもの元気な城郭ファンへ早代わりです。 ここで、ご紹介したいのが、歴史見聞館で展示されていた小田原城復元模型。現在図とこの模型を比較対照してみると、いままで歩いていた場所が江戸期はどのような様子であったか一目瞭然。城郭散策も一段と楽しいものになります。 実はこれ、現在の愛・地球博記念公園を散策しているのと状況はまったく同じなんですね。会期中の模型・地図を頭に、現在の記念公園を歩くと、どこがどのように変化したのかがよく理解できるからです。 大きな違いがひとつ。私たちは、城郭が機能していた140年も前の様子を実際に見ることはできませんが、万博が開催されていた会場の様子はまだ記憶に新しいということ。つまり、「会期中→会期後」という変化をリアルタイムで見ることができるということですね。私にとっては、万博跡地散策も城郭跡地散策も同じようなもの、ということなんですが、ちょっと強引でしょうか。
現存する二の丸堀だけでなく、わずかに土塁が残る三の丸堀跡も散策した後、天守閣へ。最上階からは、後ろに箱根の山、前に相模湾(写真下)が広がります。久しぶりの小田原城、堪能しました。ここは文化庁が復元に力を入れているらしく、現在も至るところで復元工事中。最終的には江戸期の状態に復元するとのこと。前回は工事中だった銅門が復元されていて大きく変わっていましたが、またいつか大きく変わった小田原城を見にきたいものです。 3時間の小田原城散策を終えてから、駅前で小田原名物の「ういろう」をお土産に購入。4時半のこだまに乗り、2日間の東京・神奈川の万博&城郭遺跡巡礼の旅も無事終了となりました。想い出に残る、久々の楽しいひとり旅でした。 |