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万博イベントレポート

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#16 「移転した万博遺跡」巡礼の旅・1 〜 旅の始まり 07/06/20
 
 
 旅の始まり

 愛知万博も閉幕間近になると、会場の大混雑を伝えるニュースととともに、万博の展示品・施設の会期後の嫁ぎ先について報じる新聞記事が目に付くようになってきました。万博会場跡地に残される施設が極めて少ない中、万博の多くの展示品・施設の移設先が次々と決まっていきました。

 万博閉幕後、燃え尽き症候群になっていた私を再び万博熱の中に誘ってくれたのが、これらの展示品、施設。つまり、「移転した万博遺跡」でした。閉幕2ヶ月後にオープンしたエコマネーセンターを皮切りに、FMラヴァースのパネル、カナダ館のモニュメントなどが再び万博ファンの前にお目見えし、いつしかそちらの方も夢中になっていきました。

 幸い、移転先が名古屋市内および近郊に集中していて、仕事帰りや所用の行き帰りに気軽に訪問することができました。大垣の実家へ行ったついでに足を延ばしたのが、エジプト館のパビリオンが移設した北近江リゾート。そして、その帰路に寄ったのが長浜城。これが、愛知県および周辺域にに点在する「万博遺跡と城郭遺跡」を訪ねる旅の始まりでした。つまり、2つの趣味を兼ねての旅、一石二鳥ってわけですね。遺跡巡礼の旅の経過は、以下のようです。


地域 日時 城郭遺跡 万博遺跡
北近江 06/10/29 長浜城 北近江リゾート
東三河 06/11/05 岡崎城 岡崎東公園
信濃・東濃 06/11/24 苗木城 木曽路リゾート
北三河 07/01/24 大給城、武節城、
松平屋敷
稲武野外教育センター)
東三河 07/01/28 安祥城 新東工業、愛知大学豊橋校舎
アクアリーナ豊橋、安城市役所
北尾張・中濃 07/02/25 小口城 大口町健康文化センター、パークアリーナ小牧、
航空宇宙科学博物館
知多 07/03/01 大野城 食と健康の館、新エネルギー研究発電所、
東海市役所、中部国際空港
伊勢 07/04/08 松阪城、津城 オーストラリア記念館、樋口友好ミュージアム、
チェリーレイクCC
関西 07/05/18 姫路城、明石城 (神戸・イタリア広場)
10 関東 07/06/12 江戸城 国立科学博物館いきいきプラザ一番町
(新日本石油)
07/06/13 小田原城 等々力競技場、建長寺、
茅ヶ崎公園野球場、平塚市リサイクルプラザ
 
 6月17日現在、訪問先は81ヶ所、再会した万博遺跡は83点。移転した万博遺跡は9割がた網羅したんではないでしょうか。
 万博遺跡を急いで回ったのには、実は理由があるんです。各地を訪問している間にも、撤去されていくものもあれば、野外に展示されていて劣化の著しいものありました。そんな状況のなか、万博遺跡を今のうちに記録しておかなければ、という焦りが出てきました。まあ、”記録魔”の血が騒いだってことでしょう。

 地域色豊かな外国館の美術品。最新技術を駆使した企業館の展示品。シンプルなデザインの備品。中にはこんなものあったっけ?という万博遺跡(ハイブリットタワーや屋外休憩シェルター)もありましたが、思い入れのある万博の想い出に再会したときには、思わず会期中の光景が走馬灯のように浮かんできました。

 事前連絡したところもあれば、飛び込みで訪問したところも。どこも大変丁寧に対応いただきました。本部に連絡をして撮影の許可を取っていただいただけでなく、一緒に歩いて解説をして下さったところもあります。その節は、本当にお世話になりました。ありがとうございました。


 調にみえる万博遺跡の旅ですが、失敗談もあります。
 ひとつは、「大地の塔」の前に展示されていた音具を見学に、稲武へ行ったときのこと。音具が設置されている教育センターに近づくと、何やら嫌な予感が。そのときの画像がこれ。もう説明は不要ですね。そうなんです、冬に訪れたので教育センターは閉鎖中、そして音具も冬眠中だったんでした。目的がこの万博遺跡だけでなく、城郭遺跡にもあったというのが救いといえば救いでしたが。



   


 神戸へ
 
 こ
こで、未報告の万博関連の報告をひとつ。

 イタリア館1Fで展示されていた作品のひとつに、「イタリア広場の模型」がありました。写真は、会期中の画像になりますが、右奥にみえるのが、その「イタリア広場の模型」です。この模型、会期後は神戸市に寄贈されたといいます(こちら参照)。

イタリア館1F(あちゃぴーさん提供)

 
 さて、私が旅の途中に見学したのは、この「イタリア広場の模型」ではなく、「イタリア広場」そのものだったんです。

 所用で姫路を訪れた帰途、この「イタリア広場」にも足を運んでみました。JR六甲道駅(神戸市灘区)で下車、南に広がるモダンなビル群に挟まれて「六甲道南公園」が広がっています。六甲道南公園は、震災により壊滅的な被害を受けた当地域の再開発のために整備されたといいます。公園の西側に設けられた遊具の周りには幼い子供たちが遊び、若いお母さんがたが近くで子供たちを見守っていました。ここで震災があったことなど、想像もできないほどのどかな風景です。




 広場の南はしに設置されているのが、「イタリア広場」。広大に広場に、写真のような巨大なプレートが設置されています。同じ地震国のイタリアからの寄贈によるものといいます。詳細は、現地に掲示されていた案内板を参照してください。


(クリックすると拡大します)



 灘区に足を踏み入れるのは震災後、初めてとなります。
 高校時代の3年間、父親が神戸に単身赴任。住居はこの六甲道駅の2キロ東の御影(みかげ)にありました。当時、夏休みや春休みの度に神戸に遊びに来ては、大阪や神戸の街、そしてこの周辺をひとり散策するのがとても楽しみでした。父親が単身赴任を終えた後も、懐かしさのあまり2度ほど御影に来ています。

 よく利用した阪急御影駅が震災で押しつぶされている映像をみたときには、被害の凄まじさが伝わってきました。テレビを通じて目にしたあの光景、この広場周辺を歩いていてもその痕跡が見当たらないほどの復興ぶり。御影駅も、あれからまもなく再建されたとのニュースも耳にしました。今回訪れることはできなかったんですが、御影駅付近もきっと「イタリア広場」周辺のように復興したことと思います。


 博遺跡を追跡しつつ、生まれて初めての場所、久しぶりの懐かしい場所、よく通るけど寄ったことがなかった場所などなど、多くの地域を訪れるきっかけにもなりました。これも万博が縁ってことですね。