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万博イベントレポート

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#13 市民大交流フェスタ・2 05/06/25
 
 
 市民大交流フェスタ2日目、所用を抜け出して夕方からの参加となりました。朝から、あいにくの雨、昨日と比べると来場者の数は少なく感じられました。

 会場に到着して、一番最初に目に留まったのが、昨日も今日もモリコロ。多くの人に囲まれていて、すぐにわかります。私もついつい吸い寄せられるように写真を撮りに行ってしまいます。今日はご覧のようなレインコート姿。会期中、このような姿で登場したという報道写真は何回も見ていたのですが、実際に見るのは初めてです。雨の中、来た甲斐がありました、滅多にお目にかかることのできない姿を見ることができて。


 
 久屋ステージ・コンサート

 今日の目的は久屋ステージでのコンサート。昨日のエンゼルステージが小規模なのに対して、こちらはオープニングセレモニーとクロージングセレモニーが開催される大規模なもの。到着すると、白井貴子のステージの真っ最中(写真左上)でした。

 白井貴子、80年代は「ロックの女王」として大活躍されたそうです。日本のロック・ポピュラーには詳しくないので、よく存じ上げませんが、パワフルな歌声には圧倒されました。それに私と同世代、何だかうれしいですね。

 そして、ついつい目が行ってしまうのがバックバンド。ギター、キーボードにパーカッション4人という非常に変則的な編成(写真右上)、ベース・レスってことですね。メインはドラムスではなく、和太鼓セット(?)+トップシンバル+ハイハットとこれまた変則、残る3名はアフリカの民族楽器。白井さんの元気な歌もよかったんですが、パーカッションのセッションのは最高でした。万博のアフリカ共同館前の広場では、何度もパーカッションのセッションやアフリカ民族音楽をモチーフとしたジャズの演奏を聴きましたが、ちょっとクセになってしまったようです。

 トリは山根麻衣(すいません、こちらもよく存じ上げません)。こちらのバックバンドの編成も変則、音楽もメッセージ性が強く、やや思想・宗教的。「音楽は、聞くのも演奏するのも楽しくなければ」という俗人の私にとっては、難解な曲でした。ただ、アイヌの音楽をモチーフにした曲に登場された、ウタリ協会の秋辺得平氏(写真左下)。昨日の軽快なトークとは打って変わって、祈り(カムイノミ)を捧げる厳かな雰囲気には思わず引き込まれました。

 最後は、今日の参加者全員によるセッション。十数人のパーカッションがステージ狭しと並び、壮観でした。

久屋ステージ リバーオブドリームスのパーカッション
秋辺得平氏(手前)&山根麻衣 総セッション


 クロージングサレモニー

 時間がかなり押して、セレモニーが始まったのは50分遅れの6時。司会は、ラヴァースでお馴染みの佐野瑛厘、そしてモリコロ。NPO/NGOの代表から、今回のイベントや今後の活動に対するコメントをいただき、滞りなく終了となりました。

クロージングセレモニー


 今回は、2日間で29000人が訪れたといいます。万博ファン、地球市民村ファンにとっては、うれしい企画でした。そして、記念公園の開園まであと20日あまり、今年もまた、万博ファンにとっては熱い夏が始まります。

 


#12 市民大交流フェスタ 05/06/24
 
 
 市民大交流フェスタ

 覧会協会主催のイベント「市民大交流フェスタ」が、24・25日の両日、名古屋・栄の久屋大通り公園で開催されます。万博関連イベントとしては、愛知県主催の開幕1周年イベント「県民の集い」以来の大きなプロジェクト。「育てよう! 愛・地球博の種」のサブタイトルが示しているように、万博の理念である市民参加を受け継ごうと企画されたもので、万博で好評だった「EXPOエコマネーセンター」「市民プロジェクト」「地球市民村」などが出展されました。

 会場は、北側のエンゼル広場(写真左上)、南側の久屋広場の2つに分かれ、それぞれステージを中心に多くの展示ブースが設置されています。会場に足を踏み入れると、お馴染みモリコロ(写真右上)、黄色のジャケットを着たボランティアのみなさん、そして「エコマネーセンター」「地球市民村」(写真中・下)などなど、万博会場の雰囲気をそのまま栄に持ってきたようです。

 各ブースでは、万博に参加した各市民団体の活動の報告・展示やワークショップが行われていて、どこも盛況。また、閉幕後に新たに活動を開始した団体もいくつかみられました。
  
エンゼル広場(後方は名古屋テレビ塔) モリコロ
EXPOエコマネーセンター 地球市民村
地球市民村

 
 地球市民村とアイヌ民族

 期中、地球市民村では、環境、戦争、貧困、食料、教育など、多岐にわたるテーマに取り組んでいるNPO/NGOの参加がありました。そんな中で私が一番興味を持ったのが、北海道ウタリ協会釧路支部(写真左)。北海道の先住民、アイヌ民族の文化活動を紹介するものです。

 と言っても、アイヌ民族による展示は開幕直後の1ヶ月間だけ、私が地球市民村に入り浸るようになった6月にはとっくに終了していたんですね。万博に通い始めた当初は、企業館や外国館巡りに夢中で、地球市民村にはまだ関心が向いていなかったんです。しかし、その代わりと言ってはなんですが、9月1日の「北海道の日」にはEXPOドームで、アイヌ民族の伝統舞踊や展示を見学。最終日には、会期中に出展していたすべての団体が地球市民村に大集合ということで、こちらでもアイヌ民族の展示を見ることができました(写真右)。それに、伝統工芸のアクセサリーも購入できたし。


出展団体紹介 万博最終日の展示


 族学に興味を持ち出した22歳頃から、日本の先住民であるアイヌ民族の歴史について少しは知るようになりました。シャクシャインの乱(1669)に代表される松前藩による弾圧、「旧土人保護法」に代表される明治政府による文化破壊など、私の高校時代の歴史教科書には詳細な記述もありませんでした。アイヌ文化・アイヌ語は長年に渡る同化政策により破壊され、一時は「アイヌ民族・アイヌ語は滅び行くもの」などと言われるほどでした。

 「旧土人保護法」という、前近代的な法律が廃止され、それに代わる通称「アイヌ新法」が制定されたのが、わずか7年前の平成9年というから驚きです。これも、北海道ウタリ協会による長年の活動が結実したもの。特に、アイヌ民族初の国会議員として知られる萱野茂氏(今年5月6日に79歳で死去)の、民族の復権にかけた活動はよく知られています。
 

 いうことで、今日の紹介も、アイヌ民族。会場に到着して、エンゼル広場に向かうと、ちょうどステージが始まるところでした。アイヌ民族の出演者3名と、アイヌ民族と交流のあるタイ山岳民のアカ族の出演者2名。40分のステージのうち、ほとんどはアイヌ民族の出演代表のおしゃべり。ジョークを交えながら、アイヌ民族の出自や文化の紹介、そしてお馴染みのムックリや最近復活した伝統楽器の紹介、演奏がありました。この方、ウタリ協会の副理事長で、活動家としてはかなり著名な方。それがこんな気さくな、冗談ばかり言う人とは思いもしませんでした。

 そして、アカ族の兄弟の2人。最初にお兄さんがアカ語で挨拶、次に弟さんがタイ語で挨拶。アカ語は、タイ語族ではなく、北のチベット高原から来たチベット・ビルマ語族だとされています。初めて聞くアカ語は、北京語のような印象。声調が3種類で開音節といいますから、声調4種類で同じく開音節の北京語に近いのも納得です。ちなみに、タイ語は広東語とそっくり、広東語の基層はタイ語であるので、当然といえば当然かもしれません。こちらは、声調の数も多く、閉音節です。

 アカ語も消滅の危機に瀕している言語と聞いていますが、アリヤさん(お兄さん)によると、公用語のタイ語とのバイリンガルだけど、日常会話はアカ語とのこと。日常的に使用されているということは、まだ健在、消滅語というわけではないんですね。ちょっとうれしく感じました。

 演奏とトーク終了後、愛知万博・地球市民村出展のインタビュー本『地球、そこが私の仕事場』を購入、ウタリ協会のブースで、さっそくこのお二人にサインをいただいてきました(いつもミーハーな私です)。

 北海道に行く機会なんてまったくない私にとって、万博は初めてアイヌ文化に触れる機会となりました。これも、万博ならではですね。

エンゼル・ステージ ウタリ協会のブース

 

 て、6時からのステージまで時間があったので会場をうろうろしていると、後ろから聞き覚えのある声。振り返ると万博ファンサイトのお仲間4名。誰か来ているだろうとは思っていたのですが、やはり。「飲みに行く?」と誘われれば、そりゃ喜んでいきます、そのために地下鉄で来たのですから。コンサートは諦めて、5時から飲み会。           
 「万博イベント→万博仲間と飲み会」というのは、「コンサート→バンド仲間と飲み会」とまったく同じコース、この歳で同世代の新しい仲間ができるとは思ってもみなかったこと、これも万博のお陰ですね。感謝。

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