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万博イベントレポート

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#23  「移転した万博遺跡巡礼の旅」(4)〜甲斐・信濃路 09/06/27〜28

 万博閉幕直後から始まった「移転した万博遺跡巡礼の旅」もいよいよ大詰め。最後に残った大物が、今回訪問した山梨・長野両県の2つの万博遺跡です。山梨県側の万博遺跡はかなり早い時期に移されていましたが、長野県側の万博遺跡の移設・整備が終了したのが、この3月末。高速道路のETC割引もちょうど同時期の開始。お膳立ても揃ったところで、1年近く前から楽しみにしていた山梨・長野の万博遺跡巡礼の旅に出発です。

 1日目

 (1)中央道へ

 今日は自家用車で出勤、途中で一宮のお得意さんを訪問した後、そのまま一宮ICへと入りました。気分はすっかりと仕事モードから旅モードへ。小牧JCから中央道へ入ります。恵那山トンネルまでは割合と混雑していましたが、トンネルを抜けるとスムーズな走行、順調なドライブです。
 
 久々に諏訪湖が見たくなり、途中の諏訪湖SAで休憩。諏訪湖を見るのは十数年ぶりのことですね〜。当初の計画では、この諏訪の地に建つ高島城も再訪したかったのですが、メインが山梨・長野県境域なので、こちらはまたの機会ということで。

諏訪湖

 諏訪湖からは中央道も方向を変え、甲府方面へと南東に進みます。実は、中央道で諏訪湖より東に行くのは、生れて初めて。山梨県は、富士五湖周辺しかいったことがなく、北側から山梨県へ入るのももちろん初めてのこと。知らない土地に行くというのは、毎度のことながらワクワクするものですね。

 諏訪から3つ目のIC、長坂で高速を降ります。一宮から2時間半、意外と近いですね。県道32号線を東に進むこと3キロで、国道141号線〈佐久甲州街道・清里ライン〉に入り左折、そのまま北上。1キロも走らないうちに最初の目的地、安達原玄仏画美術館の看板が見えてきました(11:30)。


 ここで、今回訪問する2つの万博遺跡の位置、地理的環境を確認しておくことにしましょう。まずは、その位置。左の「山梨県観光案内図」(クリックすると拡大します)をご覧いただくと、山梨県の北西部付近に赤い点が記してありますが、ここが山梨県側の万博遺跡。そしてその北、長野県側の赤い点がもうひとつの万博遺跡のある川上村です。

 地理的環境もついでに(私の趣味で)確認しておきましょう。どこへ行っても興味深いのが、地形を観察すること。特に、訪れた地域のランドマークたる山々にはとても惹かれます。この地域のランドマークは八ヶ岳。長坂ICを降りると、北に険しい山が見えてきましたが、それがこの八ヶ岳です。

 カシミール(3D地図)で作成した地形図をご覧ください。西より伊那谷を通り、諏訪湖で南へ方向転換しながら八ヶ岳の南側へと進んできました。3つある中で、下側の白い点が安達原玄仏画美術館。右側が長野県川上村。中間が県境付近に位置するJR野辺山駅(後述)です。3D地図をみると、これらがいずれも八ヶ岳の裾野に位置することがわかります。

山梨県全図 南より見た八ヶ岳(カシミール)


 (2)安達原玄仏画美術館

 当美術館は、日本で唯一の仏画美術館と言われています。1995年(平成7)に、仏画師の安達原玄によって開館されています(詳細は公式サイト参照)。愛知万博の閉幕半年後、中央アジア間に展示されていた大涅槃仏がこちらに移され、マスコミでも話題になっていました。

 さて、駐車場脇の道を進むと、落ち着いた雰囲気の玄関(写真右)にたどり着きます。受付の際、「万博サイトで、万博遺跡の記録・紹介をしているのですが」と告げた上で、写真撮影・サイトアップのお願いをしました。原則的には、館内撮影禁止のところ、なんとかご許可をいただきました(ありがとうござました)。

安達原玄仏画美術館 玄関

 大涅槃仏は、2Fの奥に安置されています。久々のご対面、パキスタン館の釈迦苦行像と同様、会期中とは打って変わって厳かな雰囲気。大涅槃仏の前に参拝用の座布団が置かれていて、私もしばらくの間、手を合わせてきました。

 天井には仏画が描かれ、周囲の壁には仏画や仏像が展示されていて落ち着いた雰囲気。南の窓から南を眺めると、今しがた通ってきた国道が見えます。左に目を移すと、緩やかな稜線の斑山(1115m)が見えます。のどかな光景です。

2Fより南を望む 南東を望む

 お聞きするところによると当美術館、2011年の夏、これより北の清里に新しい仏画ミュージアム「八ヶ岳まんだらミュージアム」を建設されるとのこと(こちら参照)。そのときには、大涅槃仏も引っ越されるようです。

 なお、副館長さんのお話によると、大涅槃仏の他にも、インド館2Fのバザール会場にあった壁紙と「菩提樹の葉っぱ」の2点の万博遺跡があるそうです。新ミュージアムかその併設カフェに飾る予定であるとか。その節には、またこの山梨の地に足を運んでみたいものです。


 (3)ほうとう〜道の駅

 美術館を後にし、北に5分も進むと、道の駅(写真左)がみえてきました。ちょうど昼食の時間、次の万博遺跡へ行く前に、ここらで腹ごしらえすることに。

 今回の旅で楽しみにしていたのが、山梨の名物「ほうとう」。十数年前に山梨にきた折、「ほうとう」を初めて食しました。「こんなおいしいものが、あるんかいな!」というのがそのときの率直な感想。太麺の「きしめん」、赤味噌仕立ての「味噌煮込み」が大好物の私にとって、巾・厚さが「きしめん」の倍はあろうかという、もちもちの太麺、白味噌とかぼちゃの甘みがマッチした「ほうとう」がおいしくないはずがありません。

 あれからは、通販で購入して家で作ったこともたびたびですが、どうも今ひとつ、専門店の味がでません。その次の山梨訪問時には、この「ほうとう」を食べそびれてしまい、がっかり。というわけで、今回は行く前からとても楽しみにしていました。

 鉄なべごと運ばれてきた「ほうとう」。本当に、お久しぶりです。熱々の太麺に白味噌のスープ。う〜ん、懐かしいですね。汗びっしょりになりながら、あっという間にたいらげ、スープを飲み干してしまいました。ただ。野菜が少なく、代りに多く入った山菜の味が強くて、素材の味が負けてしまっているような気も。山梨滞在中、もう一回は「ほうとう」を食べる予定でいます。

道の駅 ほうとう


 (4)長野県へ

 道の駅を過ぎるとあとはひたすら国道を北へ進み、長野県へと入っていきます。今まで進んできた裾野の下部(図左)から、裾野の上部へと登っていくことになります(図右)。谷を抜けると、そこは、避暑地で有名な清里高原。ペンション風の建物があちらこちらに見えます。オフシーズンということもあるのでしょうが、中心部以外は閑散としたものです。

南を望む(カシミール) 北を望む(カシミール)

 高原をどんどんと登っていき、峠を過ぎたところが県境。左側には、険しい稜線の八ヶ岳がよく見えます。なだらかな稜線の伊吹山を仰ぎ見て育った私からみると、とても厳しい表情をした山ですね〜。一番高い山が赤岳(2899m)。他の山の名は、下の図で確認してみてください。

野辺山より見た八ヶ岳


同上(カシミール)

 途中のJR野辺山駅(JR東日本・小梅線)で休憩。この駅、全国のJRの駅の中でも一番標高が高い(1345m)ことで有名だそうです。個人的には、このような高原の真ん中を鉄道が走っていること自体、驚きです。

 野辺山駅付近で国道141号線に別れを告げ、川上村へ通じる新しい道を行くことに。まもなく「川上村→」の標識。やっと来ました、待ちに待った万博遺跡との再会も、もうすぐです。

JR野辺山駅 川上村への道標


 (5)川上村へ

 1)高原野菜

 と思いきや、どこまで走っても川上村の中心部へ到達しません。道路の両側は一面、野菜畑。物の本によると、川上村は「日本有数のレタス産地」とのことです。白いシートは、レタス畑なのでしょうか。

野菜畑 野菜畑と八ヶ岳

 2)千曲川源流

 野菜畑を走ること10分、ようやく川上村の中心地に到着です(13:30)。まずは、「日本で一番標高の高い役所・役場」として知られる、川上村役場へ(写真左)。ちなみに標高は1185m。

 役場前の広場には、各地(山口・岡山・奈良・岐阜)の川上村の源流石が展示されています。川上村のキーワード3は「日本最長の千曲川(信濃川)の源流」。文字通り、川の上に位置していることから、川上村というんですね。

川上村役場 各地の川上村の源流石

 村の中にある「男橋」から、源流の村を流れる千曲川を眺めてみました。源流から10qの地点で、もうかなりの流量。上流を眺めたのが写真左。向こう(東側)に見える山々の向こう側が、埼玉県と群馬県になります。川上村のキーワード4は「長野県内で唯一、埼玉県と接する自治体」。

 カシミールで確認してみましょう。右に見える甲武信ケ岳が、千曲川の源流だとされています。正面に見える山が三国山。長野県・埼玉県・群馬県の境に位置する山です。群馬県や埼玉県も、実は足を踏み入れたことはなく(埼玉は通過しただけ)、この辺りは自分にとって本当に未知の地域です。

男橋より千曲川上流を望む 下流を望む

上流を望む(カシミール)


 3)住吉神社

 川上村は、東西を流れる千曲川と平行する街道(県道68号線)に沿って街並みが形成されています。その裏には、旧街道らしき古い道も所々見受けられます。県道と古い道が交わるところで神社を見つけました。さっそく参拝させていただくことに。

 「住吉神社」とあります。鳥居は、「両部鳥居」と呼ばれる形式。その向こう側に山門(仁王門)。どちらも名古屋近辺ではほとんど見かけない形式ですね。両者とも、神仏習合を示す名残とされています。つまりは、維新直後の「神仏分離・廃仏希釈」より前の様式を、今に残しているということになるようです。

 今は、鉄道や整備された道路で周辺都市と結ばれていますが、明治期には峠に隔たれた県境の山村だったと想像されます。そのような歴史的・地理的環境のもと、このような古い形式が保存されたのでしょうか?

住吉神社・両部鳥居 同・山門


 4)川上駅

 さらに西へ進んで、JR川上駅まで行ってみました。先ほどの野辺山駅の次の駅になるようです。川上辺りから佐久まで、JR小海線と佐久甲州街道が千曲川に沿って通っています。この辺りは、甲州と佐久を結ぶ交通の要地でもあるんですね。



 5)川上中学校

 初めて訪れた川上村をあちこちと見学した後、いよいよもうひとつの目的地、プレイヤーエイリアンのある川上中学校へ向かいます。地図で見ると、県道の北に中学校があるようです。車を走らせながら中学校を探していると、民家の隙間から見覚えのある、白く大きな姿がちらっとみえてきました(こちら)。やっと川上中学校に到着です。

川上中学校・正門 同・グランド


 今まで多くの万博遺跡と再会してきましたが、「こんなもの、あったっけ?」「そういえば、こんなものもあったな」というものから、パビリオン入館時に2〜3回見て鮮明に覚えているものまで様々。そんな多くの万博遺跡の中でも、各コモンの入り口に展示されていた「アートプログラム」作品は、各コモンを訪れたり、グローバルループを周遊しているときに必ず目に留めたりと、とても強い印象が残っています。コモン1の前に展示されていたのが、このプレイヤー・エイリアン

 プレイヤー・エイリアン(以下、PE)が川上中学校に移設される予定である、という情報を知ったのは、昨年の2月ごろ、万博関連書籍の目録を作成していたときのこと。偶然、PEに関する記述を発見。検索サイトで関連の新聞記事を追っていくと、学校に移設され、整備が完成するのは1年以上先のことのよう。このときから、「新緑の中に立つPEを見に、いつか川上村へ行ってみよう」と思い続け、やっとその日が来たわけです。

 校門近くに車をとめ、ゆっくりとPEの方へと近づいて行きました。「ここにいたんですか? お久しぶり」なんて、ついつい口から出そう。本当に懐かしい再会です。川上中学校の先生にご挨拶してから、万博のときと同じ構図で写真撮影。改めてみると、大きなものですね。芝生で覆われた公園の中央に置かれ、ライトアップできるように周囲には照明灯が設置されています。ここでも大切にされているのがよくわかります。

 会期中のお気に入りの写真が、富士山を模したという「夢見る山」を背景にしたこちら。青い空にPEが映えてきれいですね〜。あの喧騒とは打って変わって、山々の新緑に囲まれた今のPE。今回のお気に入りがこちら。PEの遠く向こうにみえるのが八ヶ岳です(電線が邪魔かな)。


 PEとの懐かしい再会も無事に終え、今来た道を山梨県側へと戻りました。初めて訪れた川上村、あちこちと見学でき、思い出深い訪問となりました。川上村のキーワード5は「プレイヤーエイリアンのある村」ということになるでしょうか。

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