万博を歩こう・TOP > エッセイ > 2-23-2
万博イベントレポート
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(6) 金田一春彦 記念図書館 今回の旅に関していろいろとアドバイスをくれたのが、大学4年間を甲府で過ごした知人のT氏。私の方言好きをご存知のT氏が勧めてくれたのが、ここ、金田一春彦図書館。 日本語研究者の金田一氏(1912〜2004)が、方言関係の蔵書2万冊を、氏が所有する山荘の所在地の大泉村(当時)に寄贈され、その蔵書をもとに「金田一春彦ことばの資料館」として開館したのが、1998年(平成10)のこと。マスコミにも取り上げられ、私も大いに関心があったのですが、当時の私からみると、山梨県北部はとんでもない遠いところ。まさか訪れる機会が来るとは思いもしませんでした。 地図でみると、万博遺跡のある安達原玄仏画美術館と、目と鼻の先ではありませんか。ということで、川上村の帰りに、この記念図書館に寄ってみることにしました(15:00)。 入り口には、「北杜市立中央図書館〜金田一春彦記念図書館」の文字とともに氏の肖像。入り口には氏を紹介する「メモリアルコーナー」、奥には「日本の方言コーナー」「金田一春彦ことばの資料室」など、方言に関心のあるものには魅力的な図書館となっています。 蔵書を隅から隅まで拝見。アクセント論を中心とした言語学関係の図書だけでなく、音楽関係のものも多くみられました。中には氏の書き込みが見られるものも散見。方言の概説書の多くは公立図書館でよくみるものでしたが、必見は各地で発行された方言集のコレクション。北は北海道から南は沖縄まで、私にとっては初見の方言集がみられました。時間があれが、コピーしたい箇所がたくさんあったのですが、残念。1時間ほどで図書館を後にしました。 「今後方言の研究を研究をするなら大泉の図書館へ行けば何でも分かる、というような評判でもたってくれたらこんな有難いことはない」(パンフレットより)とは氏のことば。駐車場を見ると、横浜ナンバーの車が2台。方言の資料探しに来館されたのでしょうか。こちらに来た機会には、再訪したい図書館です。 (7)甲府駅へ 本日の日程も滞りなく終了、本日の宿泊地である甲府市へと向こうことにしました。長坂ICから中央道で甲府昭和ICまで一気に下り(延々と下り坂)、甲府市内へ。まずは、甲府駅内の観光案内所へ行き、パンフレットを収集してくることにしました。 ICより駅までは3キロほど、渋滞をすり抜け5時には甲府駅に到着。県庁所在地だけあって、規模の大きな街。駅前広場に立つと、広場の構造・雰囲気が何となく故郷の大垣駅に似ていて、どこか親近感が。
ステーションビルも、大垣駅と同じで広場から階段で2Fの駅改札口へ上っていく構造。観光センターで、市内マップや城郭関係のパンフをいただいてきました。 駅前広場で目を引いたのが、当地の英雄・武田信玄の銅像。観光客の記念撮影スポットとなっていて、何組もの観光客が記念撮影をされていかれました。
今晩の宿泊地は、甲府駅から北西2qにある湯村温泉郷。こんな中心部に温泉街があるのもちょっと驚きです。温泉に浸かって1日の汗を流し、ビールを一杯。翌日のスケジュールを考えて、早い時間に就寝です。 2日目 2日目は、市内にある2つの城郭遺跡の見学、帰りは富士川街道をゆっくりと走りながら、清水ICから東名高速で帰名という予定。 (1)武田神社 前日清算を済ませておき、朝の5時半には旅館を出て、最初の目的地「武田神社」へと向かいました。この辺りは、「武田」「屋形(やかた)」「大手」と、いかにも歴史を感じさせる地名が見受けられます。「屋形」という地名は、近世城下町には見られないもので、いかにも戦国期の城下町らしいですね。 さて、「武田神社」というと、一般には武田信玄を祀る神社という印象が強いのではないかと思います。が、当地に神社が置かれたのは1915年(大正4)と、意外に最近のことのようです。歴史的にみると、「武田神社」は1519年から63年の間、甲斐武田氏の居館があった場所。城郭ファンの間では、「武田氏館」あるいは「躑躅ケ崎館」が通称となっています。 6時前には、神社に到着。こんな早い時間にも関わらず、遠方のナンバーの車もちらほら。ジョギングする地元の方もちらほら。まずは、いつものように周囲を巡りながら堀の観察を始めることに。 「○○館」というと、お屋敷があったという印象を持ちがちですが(私も含め)、実際に周囲を巡ってみると、まさに「要害」そのものです。扇状地が形成した斜面に位置することから、各曲輪の南側は水堀となっていますが、北側は空堀(こちら参照)。空堀は深く傾斜も急で、近世城郭の外堀(吉田城内堀や名古屋城外堀)みたいに、ちょっと底まで降りてみようという気にもなれないほど。造営さえた時代によるものか、荒廃したのかは分かりませんが、荒削りながらも敵を寄せ付けないような形状・規模です。 ただ、「館」としての役割を終えてから時が経ち過ぎているためか、今では「杜」となっていて(写真左)、空堀の内部や周囲は樹木が生い茂り(特に夏場)、堀の様子がなかなか観察できなかったのが残念。やはり、城郭散策は冬に限りますね。 周囲を巡った後は、主郭にある本殿(写真右)を参拝。主郭にも、土塁や石垣、門の跡などが見られ、戦国期の館の様子を伺い知ることができました。
「武田氏館」は、三方を山に囲まれ、東西の川を天然の「外堀」としていると言われています。「堀オタク」の私としては、是非見ておきたいと思い、まずは西の相川へ(写真)。急な斜面を川道が走り、流量が多い時期には天然の要害となることが想像できます。山間部にみられう城下町(岩村城)にも、急流を堀としている例がよく見られますが、「武田氏館」などはその起源と言えるかもしれませんね。 人気も少ない早朝、川の写真を撮影している私に対して、橋で立ち話をしていた地元のオバちゃんたちから、「何、汚い川を写しているの?」というようなことを甲州弁で話しかけられてしまいました。まあ、どこから見ても、不審人物にしか見えないですものね。
1時間半の「武田氏館」見学後、山梨大学近くのコンビニで軽く朝食(7:30)。次の目的地、甲府城へと向かいました。 (2)甲府城 現在の甲府市街は、県道6号線を境に、北側が「中世武田城下町」、南側が「近世城下町」に区分できます。武田氏滅亡後、手狭な武田氏館に替わり、現在の地に甲府城が築かれました。江戸期においては、徳川綱豊(のち、5代将軍綱吉)や柳沢吉保が城主であったことはよく知られています。 甲府城は、天守台のある本丸の周囲に多くの帯曲輪がらせん状に配置され、丸亀城を彷彿とさせるような高石垣の城。模型をご覧になると、往時の様子が分かるかと思います。 ただ、残念なことに、明治期に城郭内に甲府駅が設置され西半分(写真右の右半分)が、さらに中央線が郭内を通過したため北側(写真右の手前)も破壊されるという運命を辿っています。大垣や尼崎、沼津など、駅が城郭に接近していたために、城郭遺跡の多くが破壊されている例は少なくないようです。
甲府城の航空写真を見ると、郭内に駅があり、線路が走っているという、城郭ファンにはやや悲しい状態。しかし、実際に歩いてみると、残された部分が思いの他、整備が行き届いていることに感動しました。 平成に入ってから、甲府城の整備に力を入れているとのこと、いくつかの建造物が復元されています。中でも、山手門(写真左)と稲荷櫓(写真右)は木造による再建。内部も資料館として開放されていて、城郭ファンには必見です。また、堀も一部が復元されていて感激でした(前述のK氏によると、学生時代には水堀はなかったとか)。
(3)甲府市街散策 稲荷櫓内の展示室で、城下図と現在の住宅地図を比較対照したコーナーを発見。解説を読んでいると、甲府城の二の丸堀と三の丸堀の一部が、まだ市街区域に残存しているとのこと。城址公園の見学もほぼ終えたところで、堀跡を探しながら市内を散策することにしました(まだ、9:30)。 公園から二の丸堀までは、約1q。旧町屋だった区域を歩いていると、「今、どこの街だったっけ」とまではいかないですが、最近訪問した城下町とあまりにも雰囲気が似ているのに驚きます。平たく言えば、維新後あるいは戦後、商業の中心地が駅前商店街に移動してしまっていて、ちょっと元気がないということですね。まあ、駅前商店街も最近は元気がないですが・・・。ただ、車が山梨ナンバーであるのと、屋号に「甲府○○」などとあるのをみると、ここは甲府なんだと、改めて再認識したりして・・・。 などと考えている間に、三の丸堀に到着。旧町屋の南と東に約1qにわたって残存しています。地元では「濁川」というありがたくない名前を頂戴しているようですが、城郭ファン・堀オタクの私からみると、よくぞ残っていてくれたという思い。あまり美しい景観ではないですが、貴重な歴史遺産といえましょう。周囲の雰囲気(写真左)が、どうも大垣城の総堀の南の辺りに似ているような印象を持ちました。 次は、県庁の南に残っている二の丸堀へ。今度はアーケード街を歩きながら、ウインドショッピング。旅に出ると、必ず訪れるのが書店と和菓子店。書店の郷土コーナーでは方言や城の本を探します。今日は方言本「キャン・ユー・スピーク甲州弁?」をゲット(死語?)、この3月に発行されたばかりのようです。また、和菓子にはその土地土地の伝統が息づいていて、甘いもの(特に餅系)好きの私には堪らない魅力です。ちなみに、甲府は「信玄餅」一色。 などと考えている間に、二の丸堀に到着。これが、わずか100m。これだけが何とか残ったというのは、奇跡に近いですね。様子はこちらの下のよう。この「側溝」と化した二の丸堀の両端は、それぞれ公園の下の暗渠となっています。これが甲府城の二の丸堀跡だと知る人は、いったいどれくらいいるのでしょうか? この貴重な城郭遺跡に、「二の丸堀跡」の大きな標識が欲しいものです。
街を散策していて見つけた興味深い看板を、ここで紹介。 甲府名物の「あわび」、と甲府名産の水晶。両者とも、T氏からお聞きしていたので、「なるほど、確かに」と思いながら、看板をついつい撮影。 @ 海から遠いのになぜか甲府名産となった「あわび」。江戸末期に、太平洋側から運ばれるようになり、名物になったとか(詳細はこちら)。 A 甲府近郊の昇仙峡が日本有数の水晶の産地であったことから、水晶が甲府の名産品になったようです。そう言えば、甲府駅前のモニュメントには「宝石の街 甲府」の文字が。現在は水晶が枯渇したけれど、宝石の研磨技術が甲府に継承されているそうです。 B 山梨県西部に位置する「奈良田」。そこの郷土料理みたいです。方言に関心のある人なら、とても有名なこの地名(後述)。私もついついこの看板に目が行ってしまいました。 C 甲府ならではのこのビルの名称。ずばり、「風林」会館。「風林火山」の「風林」であることは言うまでもないでしょう。いくつかの観光施設には「風林火山」の旗が見られましたが、大河ドラマ放映時は大変な人気だったと想像されます。
(4)ほうとう〜甲府市内 甲府市内での日程も程なく終え、締めは「ほうとう」。駅前商店街のほうとう専門店に入ることにしました(11:30)。 こちらの「ほうとう」、メニューを見ると「ちゃんこ」や「辛口カルビ」など、いろいろな味が取り揃えてあるようです。私はオーソドックスな「かぼちゃほうとう」を注文しました。1Fはテーブルが数個のスペース、2Fはお座敷のよう。私のような個人の観光客から、グループまで、入れ替わり立ち代り「ほうとう」目当てのお客さんが来店。なかなかの人気のようです。 出てきた「かぼちゃほうとう」。椎茸、にんじん、じゃが芋に里芋などの野菜が、「これでもか」というほど乗っかっています。かぼちゃなどはちょっと信じられないくらいの大きさ。汗びっしょりになりながら、またまた一気にたいらげてしまいました。ただ、客の回転が早いためか、じっくり煮込まれていないようで、野菜にスープが馴染んでいないような気も。 「ほうとう」に思い入れがある分だけ、ちょっと「ほうとう」に対してうるさくなってしまいましたが、念願の「ほうとう」を2回も食べることができ、食の面でも満足のできる旅となりました。お土産に、「ほうとう」を購入したのは、言うまでもありません。 (5)富士川街道 お腹も一杯になったところで、そろそろ名古屋に戻ることに。帰路は、甲府から富士川沿いに南に下り、静岡県の清水に出る国道52号線(富士川街道)。この道を選んだ理由は簡単、今まで一度もこの道路を通ったことがなかったから。 山梨県から静岡県側に出る主要道には、富士山の裾野の東・西を通る「東富士五湖道路」と「富士宮道路」があります。地図をご覧いただくとお分かりかと思いますが、今回の富士川街道は富士川沿いの渓谷(地図の中央の辺り)を抜けるという、なかなか楽しい道です。
午後1時前に甲府を出発、街を西へ抜けて白根付近から国道52号線に入ります。あとは、清水まで100q、ひたすら南下するだけ。甲府盆地の南端に位置する南アルプス市を抜けた辺りから道は山間部へと入っていきます。ちょうどこのころから雨。今日は朝から曇りで、甲府盆地の周囲の山々を望むことができず残念でしたが、2つの城郭遺跡をなんとか巡ることができたのは幸運でした。 国道沿いには、街道の面影が残る街並みも見られます。富士川街道の面影が残った景観を楽しみながらドライブ。途中で和菓子屋さんを見つけると、バックしてついついと寄ってしまいます。困った習性です。 富士川水運の中継地として栄えた、増穂町/鰍沢町(写真左) 日蓮宗総本山の久遠寺のある、身延町。 盛岡藩主である南部氏の発祥の地、南部町。 歴史のある街が続きます。学生時代に中央高速道路が全線開通していなくて、名古屋に帰省する際はよくこの街道を利用していたというT氏。いろいろと名所を紹介していただいたのですが、目的の万博&城郭遺跡も踏破し、大雨の中、疲れもピーク。寄り道する気力も、このときはなし。
(6)奈良田のこと 帰路に富士川街道を選んだ、もうひとつの理由は、この周辺の地形を見たかったから。天気が悪く、遠くの山々をみることはできませんでしたが、街道の両側を険しい山々が挟んでいるのはよくわかりました。街道の西側の2000m級の山々と、さらにその西の3000m級の山々(写真右の奥)が続く南アルプスに挟まれた谷あいに位置するのが、奈良田(前述)です。上記の3D地図の右側付近にある白い印がその奈良田の位置。いかに、山深い谷間に位置するか、よく分かるかと思います。 実はこの奈良田の方言(こちら参照)、静岡市井川(大井川上流)や岐阜県徳山村戸入(ダム建設により廃村)の方言とともにとともに、日本本土において「言語島」を形成していることは、方言研究の世界ではあまりにも有名です。深い山々に囲まれていたために、周囲の言語とはまったく異なる方言が残った(或いは独自に変化した)のではないかと言われています。 徳山村戸入や静岡市井川は訪れたことがあり、いかに山間の辺地であるかが実感できました。奈良田は今回、近くまで来ることができましたが、やはり一度は訪問してみたい地域です。年内にはこの奈良田を、是非訪れてみたいなと、遠くの山々を眺めながら、ふと思いました(この辺りの様子もだいぶんとわかったし)。 南部町の南端に位置する道の駅「とみざわ」で、最後の休憩。ここから10qも走ると、静岡県側に到達です。
(6)小島陣屋(静岡県) 静岡県側に入ると空もちょっと明るくなってきて、雨も小降りに。そこで急きょ、小島陣屋に寄ってみることにしました。国道52号線から脇に入ってすぐ、国道を見下ろす河岸段丘の斜面に陣屋跡を示す看板を発見。周囲を見渡しても一面の畑、もう少しで通り過ぎるところでした(写真左、13:40)。 滝脇松平家、1万石の小島(おじま)陣屋。城郭研究者や城郭ファンの間では、なかなか評価の高い陣屋跡です。1万石の陣屋にしては、城郭といった石垣群。西美濃の高木家陣屋ほどの規模ではありませんが、大手門(写真)を初め、畑の中の散策コースを歩くと至るところに立派な石垣がみられます。 1〜2万石の小大名の陣屋町・城下町の構造も、大規模な城下町と同様、武家屋敷や町屋に別れ、急峻な谷や川を利用した堀が機能しているなど、比較対照をするととても興味深いものです。この小島陣屋、今日は陣屋跡を一周しただけでしたが、機会があれ古地図を片手に陣山町を散策してみたいものです。
(7)東名高速道へ 小島を5qも走ると、国道1号バイパスへ(16:00)。そして清水ICからそのまま東名高速道路へと入ります。名古屋まで200qの表示。青空も見えてきて、太平洋を横目で見ながら名古屋へと戻ります。 途中で浜名湖を見たくなり、浜名湖SAで休憩。日もだんだんと傾いてきて、辺りも暗くなってきました。この先の渋滞のことを思うとちょっとうんざりですが、コーヒーを一杯飲んで、再び西へと向かいます。
1年前から計画していた山梨・長野の万博&城郭遺跡の旅。走った距離は2日間で670q、久々に遠出した感が。懐かしい万博遺跡との再会、前より訪れたかった甲府の城郭遺跡、すばらしい山々の景色、初めての甲府の街、ほうとう・・・。2日間の出来事を思い浮かべながら、楽しい旅ができたことに感謝。毎度のことながら、収穫の多い楽しい旅でした。 |
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