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万博遺跡レポート
#83 コモン1・2と大芝生広場 08/06/04 1、コモン1・2と大芝生広場 GWに開放された大芝生広場。会期中の名称で言うと、コモン1・2の西側ということになります。これまで定点撮影してきた北駐車場=[企業パビリオンゾーンA]や西エントランス広場=[日本広場]と同様、会期中の区画と大きく変わってしまったので、今回も新旧2枚の地図を使用しながら、会期中と現在の比較対照を目的とした定点撮影を行うことにしました。 会期中の撮影地点が、記念公園ではどの地点に当たるのか? 会期中の地図に現在の園路と「お花畑」を、記念公園の地図にグローバルループとサウジアラビア館(右地図の上)・カナダ館(同図の右下)、それに噴水を記入してみました。どのように変わったのか、まずはじっくりと見比べてみてください。
定点撮影するのに問題点がひとつ。それは、会期中の地形が大きく改変されたことです。会期中は、上段に[コモン1]、下段に[愛・地球博広場]が配置され、大きな段差が見られました。その境界地帯に配置されていたのが、花壇でした。会期中の様子を見ると、かなりの標高差があったことがわかります。 この段差は、第二期オープン直後まで見られました。それが、[愛・地球博広場]から東へ向かってなだらかな傾斜が形成され、切り立ったような段差が無くなってしまいました。写真で比較すると、そのことがよくわかります。 こちらは、[愛・地球博広場]=人口芝の広場の東端にたつ一本木から、[コモン1]方向を眺めたもの。写真左に見える2本の木は、GLからインド館への連絡橋の南側にあったものですね(こちら)。
次に、下の写真は、EV棟から大芝生広場を眺めたものです。 この画像を見ていて初めて気が付いたのですが、現在のお花畑の中に残っている一本木は、インド館のすぐ南側にあったものではなく、どうもその南隣、カナダ館の裏にあったもののようですね。勘違いしていました。以前の報告(#70-1-1)を、ここで訂正します。
それでは、各エリアにおける定点撮影の解説です。 (1)土管 サウジアラビア館の北側の「ささ池」と愛・地球博広場の北側の「はす池」を結ぶ土管の様子。 土管の右側の通路がなくなり、橋が右側に移動したことは以前報告したとおりです。会期中は通路の上にゴンドラ駅が、土管の上にサウジアラビア館がありました。 (2)グローバルループ(内側) GLを内側から眺めた様子。 このGLを境に、段差が設けられていました。GLが撤去された現在、段差の痕跡もなく、広大な大芝生広場の中に立っても、なかなか会期中の光景が浮かんできません。新旧地図と方位磁石をもとに撮影したのが、これらの写真。北駐車場や西エントランス広場以上に、変貌の著しいエリアです。 (3)グローバルループ(外側)と花壇 GLを外側から眺めた様子。GLの手前には、花壇がありました。 ちょうど、コモン1と愛・地球博の段差があったエリア。現在の撮影地点も撮影方向も、標高が変わってしまっているので、新旧2枚の画像を見比べても、どうもしっくりこないかもしれませんね。 (4)グローバルループ(外側)とゴンドラ サウジアラビア館の西側から周囲を撮影したもの。 一番下のパノラマ写真より、サウジアラビア館のあった地点がかなり削られていて低くなっているのがわかります。 (5)コモン1〜西側 コモン1のうち、今回開放された、西側の部分です。 東ゲート方面の水道塔や「お花畑」の一本木は、格好のランドマークとなっています。背景の森林も、ちょっと見比べてみてください。 (6)コモン2〜西側 といっても、[コモン2]で開放されたのは、上の地図からもわかるとおり、カナダ館のあった辺りに限られています。この辺りから西口休憩所までは、グローバルループの軌道と、記念公園の環状園路が重なります。 (7)コモン1〜東側 [コモン1]の中エリア、および現在も立ち入り禁止の東エリアを撮影したもの。 上の記念公園の地図に、会期中に中央付近にあった噴水を貼り付けてみました。環状園路の内側の木(写真一番上)が、ちょうど噴水跡に当たるようです。[中央アジア共同館]より奥は、まだまだ立ち入り禁止区域で、未整備のままです。 一番下の写真の、右側の円形の建物は青少年公園時代からのもの。会期中の画像は、スリランカカレーとファミリーマートの間の関係者用の出入り口から覗いて撮影しました。この円形の建物、青少年公園時代から会期中を経て、記念公園になった現在も残存する、なんか貴重な”遺跡”となっていますね。 (8)コモン2〜東側 [コモン2]を、環状園路から眺めたもの。「つつじ池」の手前の部分だけしか、見ることができません。 このエリアもまだまだ未整備で、サラ地が広がっているだけです。でも、背景の森を見ると、同じ場所であることがなんとなく分かります。 新旧2枚の地図を見比べると、記念公園の地図にある「つつじ池」が、会期中の地図に記された「つつじ池」よりかなり大きく表示されているのが分かります。理由はというと、会期中は「つつじ池」周囲に板張りがされ、通路やメキシコ館前の広場が設置されていたからなんですね。下の3枚の写真から、キューバ館と国連館の間の通路が、現在は「つつじ池」の排水路となっているのが確認できます。
さて、現在の[コモン1・2]、いかがだったでしょうか? あまりの変貌に驚かれたかと思います。でも、新旧地図と方位磁石と会期中の画像を手がかりに、会期中に撮影した地点と撮影方向を割り出すというのは、定点撮影の面白いところですね。 来月には、この4月に開放された[コモン6]=[花の広場」の定点撮影に取り掛かろうと思っています。こちらも地形が改変されて、変貌が著しいエリア。一方、[円形レストラン]という格好のランドマークはそのまま。「あの懐かしい場所が、現在はどこなのか」第二弾。私も楽しみにしています。 つづく |