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#04 「環境博」に寄せて〜海上の森と金生山 05/09/04 1、ふるさとのやま 「高くそびゆる金生山(かなぶやま)、清く流るる杭瀬川、 山は動かぬ我が志、水はよどまぬ我が智の鏡」 33年前に卒業した私の母校、大垣市立赤坂小学校の校歌です。校歌は、その地域のランドマークである山を始め、生活に関わりの深い自然を歌い上げたものが一般的です。小学校の校歌は、ご紹介したように、赤坂の旧宿場町の北にそびえる金生山(写真下)が歌い上げられています。地元では通常「きんしょうざん」と呼んでいます。ちなみに、中学・高校の校歌は、濃尾平野の西にそびえる伊吹山でした。 ふるさとの山がその地域の信仰の対象であり、生活と深く密接しているのはどの地域でも同じではないでしょうか。私は物心がついたころから毎日、金生山を眺めながら育ってきました。春の新緑、秋の紅葉、冬の雪景色と季節の変化を教えてます。自然にも恵まれ、通学路の子安神社でふくろうを見たこともありました。夏休みになると、兄や近所の幼馴染といつもセミ獲りに行っていたものです。 中腹の金生神社の鳥居前での記念撮影は赤坂の人たちの定番となっていました。私の保育園のときの七五三の記念撮影、さらに私の祖父が大正時代にここで撮影したセピア色の写真もあります。また、正月は家族揃っての初詣、小学校のときの春の遠足はいつも金生山。高学年になるほど上に登っていきました。そして6年生のとき、最初で最後の頂上登山。このときはまだ、頂上があったのです。
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2、海上の森と長久手・青少年公園 愛知万博のメイン会場が、瀬戸「海上の森」から長久手・青少年公園に移されたことは、よくご存知のこことと思います。海上の森は守られたし、青少年公園は地形の改変もなくメイン会場が設置され、環境万博としては、まずまずの評価を受けているように思われます。 森林の減少は、洪水や干ばつなどだけでなく、地球温暖化や砂漠化など地球的規模の環境問題を引き起こすことから、二酸化炭素を吸収する森林の育成が急務だとされています。愛知万博でも注目されているのが身近にある里山。里山の荒廃は、森林のさまざまな働きを妨げ、生き物の生活にも悪影響を及ぼすというので、国や地域だけでなく多くのボランティア活動が活発になっているといいます(『中日新聞』「命感じる”叡智の森”に」、05/8/30朝刊)。 「里山を大切に」という環境博のメッセージが広がり、すべてが万事、大成功という印象を受けます。しかし、その周辺域に目を移すと、その間近まで開発の波が押し寄せてきています。瀬戸会場周辺域には多くの住宅や某工業大学の広大なキャンパスがみられますが、これらを建設するさい、森林の破壊はなかったのでしょうか。 長久手会場の南に目を向けてみましょう。会場のはるか向こうの山肌に削られた跡(写真左)があるのがお分かりでしょうか。近くからみるとこのような状況です(写真右)。これは、瀬戸の焼き物に使う原料の土の採土場です。この光景を初めて目にしたのは仕事で県道田籾線を通るようになった20年近く前のこと。緑の丘陵が続くなか、突然山肌が削られ、地底深くまで掘り下げられた惨憺たる光景をみたときは、かなりの衝撃を覚えました。 ちなみに、万博開催にあたり、瀬戸・長久手だけでなく、この採土場も会場にすべきだという意見もありました。が、この一帯で採取される土は瀬戸の窯業を支えるものだから、ここを一時的でも閉鎖するのは不可能ということで、廃案になっています。 環境保全がなされたとされている「環境万博」会場の周辺でも、実はもう既にこれだけの環境破壊がなされているんですね。
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3、ふるさとのやまは、いま 長久手会場南周辺に広がる、山肌もあらわになった採土場。初めてこの光景を見たとき、心が痛んだのは、同じような光景をふるさとで見ているからです。 金生山は、生石灰(乾燥剤に使われますね)の生産量が全国一とされています。明治以降、中仙道の宿場町としての使命を終えた赤坂は、鉱業の町として発展するようになりました。祖父母によると、明治末期においても伊勢や近江から多くの労働者が赤坂に流入したといいます。 (1)の写真は戦後まもなくのものですが、私が生まれ育った1960年代でもまだまだ山の原型を留めていました。それがいつの間にか、頂上付近が削り取られ、手前の花岡山は姿を消し、金生山の向こう側の揖斐の山が見えるようになりました。北側にそびえていた山が低くなり、えらく明るくなったように感じます。現在の状況はこのようです(写真下)。半世紀でこれだけの変化、山の上の分だけ下にも埋蔵されているいいますから、山がなくなったら露天掘りされていくのでしょうか。毎回、ふるさとに戻るたびに、姿を変えていくやまを見て、本当に悲しくなります。 それでは、果たして「里山を大切に」、「環境破壊を阻止しよう」などと声高に叫ぶことができるのでしょうか。長久手周辺の採土場が、多くの瀬戸窯業に携わる人たちの生活を支えているのと同様、金生山から採取される石灰は、石灰産業に携わる多くの地元、赤坂の人たちの生活を支えています。そしてなによりも、石灰産業に携わってきた祖父のお陰で我が家の生活があり、現在の私があるわけですから、上のようなことを口にするということは、天に向かって唾するようなもの、ということです。 万博の「エコ・リンク」のパンフレットには、「今のままではいられない」「できることからはじめましょう」「あなたの参加をまっています」というすばらしいメッセージが記されています。ごみの削減、二酸化炭素排出抑制など、個人にできることは可能ですが、生活・精神の根本に関わる、ふるさとの里山の環境問題がこのような状況にあるなか、「里山を大切に」というメッセージが、私にはどうも空ろに響いてしまいます。ふるさとの里山を失いつつある私は、いったいどうしたらよいのでしょうか?
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