万
博を歩こう・TOP > エッセイ > 1-10
万 博 考
←前へ 次へ→
#10 上海へ 10/06/08 (1)愛知万博・中国館 愛知万博も閉幕が迫ってきた9月。次回万博開催地である中国館で、「上海」「2010」の文字が目に付くようになりました。以前からあったのか、9月になってから掲示されるようになったのか、今となっては記憶もかなりあやふやですが・・・。 パビリオン前の通路には、バナー(写真左上)。上海万博のロゴマークとテーマ、そして「上海で会いましょう」の文字。残り会期が一ヶ月を切った当時としては、万博最終日までをいかに有意義に過ごすか、ということしか頭になく、「上海」の文字を見ても「そういえば、次は上海やったな」位の認識。 中国館の入口を入って左側には、上海万博をPRするスタンド。「より良き都市、より良き生活」がテーマと知ったのは、この時か。大阪博の「人類の進歩と調和」、愛知博の「自然の叡智」などの抽象的なメッセージと比較すると、随分と違ったものだと感じたものでした。 パビリオン中央に設けられたステージの背面、そして客席の背面。至るところに「EXPO2010」「SHANGHAI」「上海」の文字。 そして、9月23日の「上海ウイーク」。中国の著名な俳優や歌手が出演、盛況でした。 「2010に会いましょう」 「2010上海へようこそ」 愛知万博閉幕間際は、次の万博開催地、上海の露出度が上がってきた時期でもありましたね。 中国館の内外に掲示された多くのメッセージや、「上海ウイーク」の盛大なイベントよりも、「上海へ行ってみようかな」と私を動かしたのが、中国館内でたまたま見た上海万博PRビデオ。 中国館に最後に入ったのが、この9月23日。いつもはステージから土産物売り場に進んでいたのに、偶然というか、初めて入った狭い空間で一人見たのが、これ(多分)。「あの場所を歩いてみたい!」というのが、この時一番の印象でした。万博オタクの血が騒いだのでしょう、きっと。 (2)『2010上海EXPO』創刊 2005年国際博覧会協会が解散し、その後継団体である「地球産業文化研究所」が初めて大々的に主催した万博関連イベントが、2007年8月の「市民大交流フェスタ2007」。万博関連イベントで「上海万博」の文字を初めて目にしたのが、このとき。上海万博開幕まで1000日を切り、公式サイトも開設され、一部の万博ファンサイトやマスコミなどに上海万博が登場するようになった時期でもありました。 上海万博PRブースには、万博会場のイメージ図などが展示。そしてこの時に配布されていたのが、雑誌『2010上海EXPO』の創刊号。紙資料収集を趣味とする私が、恐らく初めて手にした上海万博の資料だったのではないかと思います。 当時のレポートを読み返してみると、どうもこの時期には上海万博訪問を心に決めていたようです。この雑誌はその後、一部の書店で入手することができ、ときどき思い出しては購入していました。 (3)「海宝」登場 上海万博開幕まで1年を切った2009年6月ころ、愛・地球博記念公園に登場したのが、上海万博のマスコット「海宝」。マスコミやネットを通じてよく目にするようになった「海宝」を、実際に初めて目にしたのがこの時。上海万博も、身近になってきた時期でもありました。 愛・地球博記念公園に訪れる際に、時々お邪魔するのが「ピンバッジ交換会」。個人的にはピンバッジは収集していないのですが、現在も万博ファンが定期的に集まる同窓会的な存在。こちらでも、上海万博関係のピンバッジが登場。 その中のお一人、牛田さんが、愛知万博で知り合った仲間同士で上海万博へ行こうという会を設立され、私も参加することに。2009年の年末に具体的なツアー日程が決定、その中の一つが6月12日のジャパンデーに行くという、3泊4日のツアー。 2010年2月末にギリギリの申し込み。会社にもなんとか休暇を頂いて、これで私の上海万博訪問が決まりました。「あのPRビデオでみた万博会場を、実際に歩けるのか!?」、そう想うだけで万博オタクの血がますます騒いだのでした。 つづく |