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大阪万博の想い出

 
  阪で万博やっとるで見に行こ」という母親に連れられて、兄と私は授業を早退し、大垣駅から大阪行きのバスに乗り込みました。いまから35年前、1970年の春のことです。大阪で万博が開かれているということは、マスコミなどを通じて知っていたと思うのですが、「万博」なるものが何かは、当時小学校4年生の私には分かるはずもありませんでした。「まあ、何かやっとるらしいわ」という程度でした。これは私だけでなく、当時の多くの大人についても同様だったのではないでしょうか。なにしろ「日本で初めて」のことでしたから。

 名神高速道路でひたすら西へ。長い乗車時間のあと、もう到着したのか、バスはインターチェンジを降り、ループを回り始めたときのことです。周りの大人がいっせいに立ち上がり、車内中に「おぉ〜!」というどよめきが沸き起こりました。私もその歓声に誘われるように、座席から跳ね起き、バスの外へと目を向けました。車窓には、今まで見たこともないような奇抜な、そして巨大な建物群がはるか彼方まで続いていました。まさしく「未来都市」。周囲の大人と同様、右左の窓からその不思議な光景に見入っていました。これが、当時9歳だった田舎の少年が、万博にハマった瞬間です。いや、私だけでなく当時の多くの日本人も、その光景を目の当たりにした瞬間、万博の虜になったに違いありません。

 パビリオン。もちろん初めて聞く響き。会場でさっそく地図(写真上)を購入し、その地図片手に「パビリオン」巡りとなりました。今まで見たことのないような巨大なパビリオン群、斬新な展示物に映像、多くの人波や外国人。何もかもが新鮮な驚きでした。そして、外国の薫りがするパンフレット、素敵なデザインの記念スタンプ。兄と私が夢中になり集めたのはいうまでもありません。なにしろ初体験でしたから。


 博初日は、父親の出張先の姫路で合流、翌日は姫路城を見学後、再び万博会場へ(2回目)。
 6月には、母親の職場から夜行バスで(3回目)。
 夏休みには、祖父母に連れられて(4回目)。
 その晩は、近所から嫁いだ方の家に宿泊させていただき、次の日も万博見学(5回目)。 
 閉幕間際、どうしてももう一度行きたいとねだり、祖母に連れられて最後の見学(6回目)。
 
 万博小僧だった兄と私は、このように6回、大阪万博を訪問。大阪万博のことは、その後もよくテレビでも取り上げられていましたが、やがて記憶の彼方へ。パンフレットやスタンプ帳など、私の「たからもの」も押入れの奥にしまい込み、やがて目にすることもなくなりました。

 しかし、「博覧会」と聞くと万博小僧が目覚めてしまします。最初は、16年前の名古屋デザイン博。家内と幼い長女と訪れていたのが、閉幕間際にはひとりで何回も足を運ぶようになりました。フィナーレの日も訪問、感動して帰ってきた覚えがあります。そして、今回の愛知万博。当初はそんなに関心があったわけではないのですが、会場に足を踏み入れ万博の雰囲気を嗅ぎ取った瞬間、私はもう35年前の万博小僧になっていました。それ以降のことは、活動日誌で触れたとおりです。


 
日の連休(海の日)、大垣の実家へ帰ったとき、「たからもの」を探し出してきました。2年近く前に実家を改築した際、父親が私の部屋のものをすべて裏の小屋に移動したのですが、私がいくら探してもみつかりません。もう処分されたのかと諦めていたところ、父親が奥から探し出してきてくれました。

 「たからもの」と久々の対面、まさにタイム・カプセル。パンフレットやスタンプ帳、絵葉書などをひとつひとつ手に取るうちに、当時の記憶がよみがえってきました。
 入場券。兄と一緒にゲート付近に落ちていた半券を拾い集めたっけ。
 絵葉書(写真左下)。愛知万博のパビリオンと違って、どれも斬新な顔をしとるなぁ。
 日立グループ館に三菱未来館。今と同じ名前やわなぁ。
 カナダ館に英国館。えらい立派なパンフレットやったんやなぁ。
 ブルガリア館で購入したペーパーナイフ(写真右下)。万博というと、なぜかブルガリア館と縁があるなぁ。
 スタンプ帳。結構集めたんやなぁ。それに、今と比べてでかいこと。
 「公式ガイドマップ」。私が地図マニアになった原点、万博見物にはいつも持って歩いとったで、ボロボロになっとるなぁ。
 ・・・と、いつの間にか、35年前にタイム・スリップ。


 月始め、島根に住む兄が仕事でこちらの方へ帰ってきました。愛知万博は島根でも結構話題になっているとのこと。でも、こちらから島根に行くのはなかなか難しいのと同様、島根から愛知に来るのも容易ではありません。もう6回(当時)万博に行ったという私に、兄は大変驚いた様子、島根では考えられませんからね。

 兄は年に2〜3回しか、こちらに帰ってこないのですが、今回を逃すともうお盆にしか万博に行く機会がない、ということで、お勧めのパビリオンを電話で尋ねてきました。私と大阪万博を堪能した兄も、きっと万博小僧の血が騒いだことと思います。それにしても、私たち幼い兄弟を、入れ替わり立ち代り何度も大阪まで連れて行ってくれた祖父母や両親には、本当に感謝です。

                                                  05/07/31


「公式ガイドマップ」
同左。三菱未来館の部分の拡大
絵葉書 ブルガリアのペーパーナイフ(作者の落書きあり)